親の知らない 子どもの時間

第18回 親の知らない子どもの時間 ─ みんなで生きる(最終回)

子育て |
アイキャッチ画像
子どもと過ごす時間を大切に思っていても、いつも一緒というわけにはいきません。入園すると子どもは親の手を離れ、園で多くの時間を過ごします。わかっているようで、じつはよく知らない「子どもの園生活」。大阪府堺市の「おおとりの森こども園」で保育に携わる松本崇史さんの目を通して、子どもたちの日々を覗いていく連載の最終回です!

今日、園で何したの?

「今日、園で何したの?」
お迎えに行き、子どもにそう聞いたことはありませんか。

「何したの?」
「わかんない」
「楽しかった?」
「うん」

そんな会話で終わってしまうことも、きっと少なくありません。でも、その「わかんない」の中には、家では見ることのできない、たくさんの時間が詰まっています。
友だちと一緒に笑い合った時間。誰かの遊びを、じっと見ていた時間。「入れて」と言いたかったのに言えなかった時間。何かを一緒に見つけて喜び合った時間。泣いている友だちのそばに座っていた時間。けんかをした友だちと、また一緒に遊んだ時間。──どこにでもある、何気ない一日です。けれど、その一日は、園の中の集団生活だからこそ生まれる時間です。

「家と全然違うんです」と時々親御さんが声をかけてきます。
「家では甘えん坊なのに、園だとリーダーと呼ばれていて驚きます」
「家では片付けしないのに、こんなふうに掃除するんですね」
「家では『できない』とすぐに言うのに、園では自分で靴を履くんです」等々

もちろん、家には、家にしかない時間があります。大好きな人と一対一で過ごす時間。安心して甘えられる時間。何もできなくても、そのまま受け止めてもらえる時間。それは、子どもにとってかけがえのないものです。
そうした家の姿も、園の姿も、どちらも、その子自身です。人は、一緒にいる人や場所によって、いろいろな自分を生きています。家には家の「その子」がいて、園には園の「その子」がいます。友だちといるときには、また別の「その子」が現れるでしょう。

ふだん目にしない「その子」の姿に、親や保育者は戸惑うこともあります。
そんなときは、こう考えてみるのはどうでしょう?
「私たちの知らない時間があるから、子どもは他者とともに、自分で自分を育てていくんだ」

子どもは、子ども固有の時間を生きています。そして、それぞれの時間が混ざり合って、互いに育っていきます。園のおもしろさは、さまざまな子どもたちが一緒にいることです。自分より小さい子。大きな子。気の合う子。けんかしちゃう子。助けたくなる子。いろいろな子がいます。その中で、子どもは「いろいろな自分」を知っていきます。

自分が見えてくる

5歳児で転園してきたSくんは、たくさん勉強をしてきたけれど、友だちと遊んだり、関わったりすることが少なかった子です。4月の最初の頃は保育者や友だちについていくだけ。

ある夏の日。気の強い男の子に、「鬼ごっこするで!」と言われて、初めて「でも、Sは……ひとりで虫とりがしたい」と主張しました。男の子が「でもさ!」と言い返そうとすると、Yちゃんが「Sくん、虫とりがしたいんだよ」と援護してくれました。

Sくんにとって “初めての自分” に出会った瞬間かもしれません。自分のしたいことがわかって、それを伝えたら、友だちが尊重してくれました。「ひとりで何かしたい」という気持ちを経験することも、人として大事な時間です。

そうやって、自分と誰かとの間を行ったり来たりしながら、子どもは少しずつ、自分の世界を広げていきます。だから、集団生活というのは、単に「みんなで同じことをする場所」ではありません。むしろ、「みんなそれぞれ違うから、自分が見えてくる場所と時間」なのです。 Sくんを助けたYちゃんの言葉は、保育者や大人の説教よりも、ずっと効果的だと思いませんか? 子どもたちは大人が思っている以上のことをしてくれます。

同じ場所で、同じ時間を生きる

4歳児のRくんが石垣からのジャンプを怖がっています。保育者が励ましても、跳びません。そこに5歳児のYくんがやってきました。Yくんが「ここから跳びたいの? あのね、怖くない、怖くない、って思いながら跳ぶんだよ。Yはね、そう思っていたら、跳べるようになったんだよ」と言い、実際にピョンと跳ぶところを見せてくれました。すると、Rくんはニコッとして、石垣の高いところからピョンと跳び、駆けていきました。

こうして、子どもから子どもへ世界はつながっていきます。「仲よくしましょう」と言われたからではありません。ただ、同じ場所で、同じ時間を生きている。自分の時間を生きている。そのこと自体が、子どもたちの育ちを動かしているのです。

親の知らない子どもの時間

みんなと違う自分でいながら、誰かと一緒に生きていく経験ができること。そこに、集団生活の大きな意味があるのだと思います。

「頑張り合う」「励まし合う」「感じ合う」「見合う」「聞き合う」「話し合う」「慰め合う」「笑い合う」「尊重し合う」「教え合う」そして「育ち合う」。そんな、少し面倒で、少し不思議で、でも、とても子どもらしい魅力的な時間を、子どもたちは毎日一所懸命生きています。

だから、もし今日も、「園で何したの?」と聞いて「わかんない」と返ってきたら、そこには、親が見ることのできない時間、親の知らない豊かな子ども同士の時間があったのだと想像してみてください。

それは、親から隠されている時間ではありません。子どもが、親の知らないところでも、ひとりの人として世界を広げている時間です。家に帰ってきた子どもは、今日もいつもと変わらないように見えます。でも、本当は少しだけ違います。友だちと笑い合った分だけ。誰かと話し合った分だけ。誰かに憧れた分だけ。誰かに優しくされた分だけ。昨日まで知らなかった自分を、少しだけ連れて帰ってきています。そして明日もまた、子どもは家を出ていきます。親の知らない時間へと。

そうして子どもは、「自分ひとりでは出会えなかった自分」に、誰かと一緒に出会っていきます。だから、子どもの「今日」を、私たち大人は全部知らなくてもよいのかもしれません。子どもには、親の知らない時間がある。その時間こそが、子どもを「その人」にしていくこともある。いつか、子どもから話してくれる日もくるかもしれません。

「あのね、今日ね……」

子どもが話しはじめたら、その時は耳を澄ませてみてください。そこには、私たちの知らなかった子どもの時間が、きっとあります。

イラスト・おおつか章世
  

 
 

親の知らない 子どもの時間
第1回 春とともに
アイキャッチ画像
親の知らない 子どもの時間
第15回 自立と自律 ─ オムツとパンツ ─
アイキャッチ画像
えほんQ&A
Q1 同じ本ばかり読んでほしがるのはなぜ?
アイキャッチ画像

おすすめの記事