子どもと過ごす時間を大切に思っていても、いつも一緒というわけにはいきません。
入園すると子どもは親の手を離れ、園で多くの時間を過ごします。
わかっているようで、じつはよく知らない「子どもの園生活」。
この連載では、大阪府堺市の「おおとりの森こども園」で園長を務める松本崇史さんの目を通して、子どもたちの日々を覗いていきます。おおとりの森こども園は、堺市郊外の大きな神社に隣接する「遊び、生活を中心に、子ども時代を謳歌する園」。
子どもたちは園という場所で、どんなものに出会い、どんな経験を重ねていくのでしょう?
はじめまして。おおとりの森こども園で園長をしている松本崇史です。子ども時代をともに生きる喜びのある仕事として、保育の道を歩んでいます。この度「とものま」の連載のご縁をいただきました。これから、どうぞよろしくお願いします。
4月、春。
日本では年度替わりで、始まりの季節。新生活への希望や期待に、胸がときめく人も多いのではないでしょうか。その一方で、春は、保育者にとっても、保護者にとっても、ドキドキと不安でいっぱいの季節です。
保育者は「どんな子がくるかな?」と考えながら、準備に奔走します。
保護者は「大丈夫かな?」と心配で胸がいっぱいです。
……では、子どもたちにとって「春」はどんな季節でしょう?
入園する子どもたちは、それまでの生活が一変します。遊ぶところ、食べるところ、寝るところ、起きるところ、排泄をするところ、着替えるところ、さらに一緒にいる人、触れるもの、飛び交う声……。子どもたちにしてみれば、ある日突然、自分のまわりの世界がすべて、自分の意思とはかかわりなく変わるのです。
子どもたちの中に、どれだけの「?」が生まれることでしょう。私たち大人は自分の生活を意識的に変えていくことがありますが、もし自分の意思と関係なく、まるごと生活を変えられてしまったら、どうでしょうか。
子どもたちは、自分のなかの「?」を、まず泣くことで表現します。……なんて豪快でエネルギッシュな方法でしょう。先を見通せない生活の中で、子どもたちの最初のコミュニケーション方法が「泣く」ことなのです。
「しくしく」「ぐずぐず」「くすんくすん」「えんえん」「おいおい」「わあわあ」「ぎゃあぎゃあ」……本当にさまざまな泣き方を見せてくれます。晴れやかなイメージの春ですが、子どもの心は曇り空で、時に雨模様です。なかには台風のような子もいます。
保育者は、すべての天気に何とか対応しようとしますが、常に必死です。子どもたちひとりひとりの心の天気予報をしながら、いっしょに過ごすために覚悟をかためていくのです。
さて、そんな曇り空や雨模様の子どもたちを、晴れやかな気持ちに変えてくれるものは何でしょう?
保育者の存在が大きいことは確かですが、じつはそれと同じぐらい大きな力をもっているのが、春とともにあらわれる小さな草花や虫、そして園にいる生き物たちなのです。
その様子をすこし覗いてみましょう。
春のいのち、春の風
1歳児のSくんが、目に涙をためて泣いています。「ぐすんぐすん」とすすり泣く声も聞こえます。それに気づいた保育者がSくんの手をひいてテラスをいっしょに歩きはじめました。菜の花の前で「小さなお花、いい匂いがするね」と声をかけます。次のビオラの前では「きれいな色だね」、チューリップの前では「かわいいね」。Sくんはじっと花を見ますが、しくしく泣きつづけています。そこに年長のTちゃんがやってきて、「これね、わたしたちがうえたんだよ」と話しかけました。そして、そばの石をひっくり返してダンゴムシを見つけ、「わー、いっぱいだね」とSくんに笑いかけます。Sくんは保育者の方に顔を向けました。目があった保育者もニコッと笑顔で応えます。すると、それまで泣いていたSくんが「うっ!」と声を出し、ダンゴムシを指さしました。
3歳児のNちゃんは、お母さんと離れているのがイヤで、眉毛がずっと八の字です。まわりから話しかけられると、それだけで泣いてしまいます。そんな泣き虫のNちゃんが、ある朝登園すると、まっさきに園庭で飼っているヤギのところに向かいました。Nちゃんが餌の干し草をあげると、ヤギは口を寄せてもぐもぐ食べはじめます。その様子を見て、ニコッと笑うNちゃん。これで、Nちゃんの毎朝のルーティンが決まりました。
進級して年中さんになったHくんが、園庭の築山のてっぺんで、なぜかうつむいています。何があったのでしょう。そこに暖かな春の風が吹きました。次の瞬間、Hくんが勢いよく築山を走り降りました。まるで体いっぱいに風を受け止めるように。いつのまにか顔は上を向き、「きゃー!」という歓声とともに満面の笑みがこぼれます。
ありふれた4月の日常の、何でもない風景です。必死に気持ちを表現しようとする子どもたちに、保育者はバタバタしながらも、何とか応えようとします。そんな時、大きな味方となってくれるのは、春の草花や生き物なのです。小さく、愛らしく、美しく、はかなげに、泣いている子どもたちに「おいで」と語りかける存在。かれらは、そっと子どもたちの手のひらにもやってきてくれます。風も土も空も子どもたちの味方です。
園庭には、さまざまな季節の草花が植えられます。パンジーやビオラやチューリップなどの春の花は、子どもたちの入園と進級を祝福します。草花の種や苗を植えた、ちょっと先輩の子どもたちや保育者は、植える時も、育てる時も、こんな気持ちをこめるのです。
「入園おめでとう」
「進級おめでとう」
「園に来てくれてありがとう」
だからこそ、「わたしたちがうえたんだよ」と彼らは伝えてくれるのです。その思いを、新たに園にやってくる子どもたちが受け止めます。そうやって互いに受け止めあうのです。子どもたちの思いが交錯し、かかわりが生まれていく4月。
泣いているからかわいそうとは思いません。互いに受け止めあい、心が重なる時間がそこにあるからです。
毎年、ここから一年の生活がスタートします。
イラスト・おおつか章世
*園の先生方へ こちらもぜひご覧ください こどものともひろば