親の知らない 子どもの時間

第4回 自然と溶けあう時間

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子どもと過ごす時間を大切に思っていても、いつも一緒というわけにはいきません。入園すると子どもは親の手を離れ、園で多くの時間を過ごします。わかっているようで、じつはよく知らない「子どもの園生活」。この連載では、大阪府堺市の「おおとりの森こども園」で園長を務める松本崇史さんの目を通して、子どもたちの日々を覗いていきます。

自然と溶けあう時間

子どもたちが日々を過ごす園で、最も大切な環境は何? と問われれば、まず「自然」と答えます。園における自然とは、山、森、川のような広大なものではなく、ほんの身近な自然です。水、砂、土、泥、草花、野菜、樹木、虫、小動物、風など、子どものすぐそばにあるもの。そうした、子どもたちの手に届く「自然」がもたらしてくれるものは何でしょうか。──それは、子どもたちと自然がまるで一体化するように溶けあう、特別な時間です。

大学で保育を学び始めた頃、Aくんという2歳の男の子に出会いました。水が好きなAくんと、大学内にある池の近くで、よく一緒に遊びました。Aくんはいつも私の手を引っぱり、好きなところに連れて行きます。ある日、Aくんは池の近くに設置された水道を見つけました。蛇口から水滴がポタポタ落ちています。その水滴が落ちる様子を、Aくんはじっと見つめ続けました。一緒に座って見ていたら、いつのまにか1時間が経っていました。

私はこの時間を一生忘れないでしょう。1時間は長いはずですが、一瞬のように感じたのを覚えています。Aくんにとっては、どうだったのでしょう。その時、会話らしい会話はほぼありませんでした。Aくんが「あー」と言って、私は「うん」と返事するくらいです。ただ、それが心地よかったのです。いつの間にか時間だけが過ぎている、そんな感覚でした。

カマキリとあぜ道

自分自身の幼い頃を振り返っても、同じような経験があります。夏、田んぼのあぜ道でカマキリを探していた時のことです。朝ご飯を食べて、10時頃にはあぜ道にいたと思います。カマキリを何匹も捕まえた私は、ふかふかの草の中に寝転びました。どのぐらいそうしていたでしょうか、いつの間にか 私は草むらの中で眠りに落ちていました。

目覚めると16時頃。昼ご飯も食べず、眠っていたのです。虫かごの中にはカマキリがたくさんいます。家に帰ると、母は小言のひとつも言わず、「おかえり」と迎えてくれました。

私自身の記憶はこの程度です。ただそれは、人生で最高と言ってよいほど、とても幸せな時間でした。カマキリと田んぼのあぜ道が、40歳になった今も「特別だった」と感じられる素晴らしい時間をくれたのです。

自然は、子どもたちに、こんなふうに「溶けあう時間」を与えてくれます。子どもと自然が、まるで最初からひとつのものだったように溶けあうのです。私は保育を仕事とした時に、そういう時間を、子どもたちには経験してほしいと願いました。自然の中で溶けあう、その子のための「特別」な時間です。 だからこそ、自然は何より園に必要な環境だと考えています。

園の自然と子どもたち

園に息づく自然は、こんな時間を子どもたちにもたらします。

4歳児のKくんは、園庭のみかんの木でアゲハチョウの幼虫を見つけました。つかまえて育てると、やがて蛹(さなぎ)になり、羽化の瞬間がやってきます。Kくんは羽化したアゲハが飛び立つまで、じっと見守りつづけました。Kくんは羽化を迎えるアゲハと一体化し、自らもアゲハのように羽化の瞬間を待ちわびていたのです。

園庭にはいろんな草花を植えているので、シジミチョウもよく飛んでいます。あっちの花から、こっちの花へ。あっちの草から、こっちの草へ。シジミチョウが花や草にとまるまで、4歳児のMくんは追いかけます。そして、そっと指先で捕まえようとしますが、シジミチョウはまた飛び立ちます。Mくんはまた追いかけます。Mくんは、シジミチョウを強くつかむと弱ってしまうことを知っています。だから虫捕り網も使わず、ただそっと指先で捕まえようとするのです。そうやって、シジミチョウのことを思いやりながら、シジミチョウとともに園庭の自然の中で過ごしています。

子どもたちは時計が示す時間の中では生きていません。それぞれが自分の時間を生きています。自然も同じです。だからこそ、子どもたちと自然は気が合い、溶けあうことができるのでしょう。

田んぼが与えてくれるもの

生き物だけでなく、水、砂、土、泥も、子どもたちに特別な時間をもたらしてくれるものです。園内の小さな田んぼは、田植え前の時期、毎年かっこうの泥遊びの場になります。水をためて、田植えができるように土を耕し、泥化していきます。手伝いたい子は手伝います。

私が「田植え前の最後の準備をするよ」と子どもたちに伝える日は、田んぼの泥で遊べる最後の日。年長のHくんがやってきて、「いっしょにやる」と言いました。Hくんは心の中にいろんな葛藤を抱えている子で、以前は汚れることを躊躇する子でした。そんなHくんが、泥に足をとられてこけたり、泥を投げてみたり。友だちも集まってきます。子どもたちが少しずつ解き放たれて、顔も含めて全身が泥だらけになる頃には、「うお~!」「おらっ!」「わ~!」と言いながら私に向かって泥を投げてきます。最後に泥の中へ飛び込む時は、誰より思いっきりのよいHくん。泥だらけの顔は誇らしげです。泥と子どもが溶けあう、そんなひと時です。

田んぼは季節ごとに、素晴らしい時間を与えてくれます。春は、水や土や泥の感触。夏は稲の育ちと、ヤゴやイナゴなどの生き物たち。秋の稲刈りは、食の恵みを。冬は冬で、刈った穂先を踏んだりして楽しむことができます。1年という時間の中で循環する田んぼは、子どもたちひとりひとりに特別な時間をもたらすのです。

田んぼは子どもたちに何も強制しません。ただ共にあって、楽しい時間を創出してくれます。そこあるのは、保育の父である倉橋惣三の言う「育ての心=自ら育つものを育たせようとする心」(*1)です。

自然の中でこそ、子どもたちは自分らしく育とうとするのかもしれません。自然の中で生まれる、その子のための特別な時間こそ、私たち保育者が守るべきものではないかと強く感じています。
 

*1 児童心理学者であり教育者の倉橋惣三(くらはしそうぞう・1882-1955年)が著書『育ての心』(フレーベル館)で説いたもの。

 イラスト・おおつか章世 

 

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第1回 春とともに

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*園の先生方へ こちらもよろしければご覧ください こどものともひろば

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