親の知らない 子どもの時間

第3回 遊びが生まれる瞬間

子育て |
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子どもと過ごす時間を大切に思っていても、いつも一緒というわけにはいきません。入園すると子どもは親の手を離れ、園で多くの時間を過ごします。わかっているようで、じつはよく知らない「子どもの園生活」。この連載では、大阪府堺市の「おおとりの森こども園」で園長を務める松本崇史さんの目を通して、子どもたちの日々を覗いていきます。

遊びが生まれる瞬間

幼い子どもたちと過ごしていく中で、大切なものがあります。それが「遊び」です。遊びは、子どもたちの生活の中で外すことのできない、重要な要素です。

「園での遊び」というと、鬼ごっこ、縄跳び、製作、お絵かきなど、いろいろなものが思い浮かぶのではないでしょうか。保育者の指示で始まる、そういう時間も、子どもたちにとっては楽しい遊びです。

保護者の方々が目にする園生活の写真や動画も、そうした様子をとらえたものが多く、それを見て、保護者の方々は「我が子は園でしっかり遊んでいる」と安心します。確かにそれは、一見すると、子どもの遊びをしっかり映しだしているように見えるかもしれません。

ただ、子どもたちにとって、そうやって用意される遊びだけが、「遊び」なのでしょうか? 

そもそも遊びは、いったいどこから生まれるのでしょう? 私は、子どもたちの中に「したい」「やりたい」という願いが生まれた時こそ、遊びが生まれる瞬間だと思っています。保育においては、この「したい」「やりたい」という子どもの思いや考えを「子どものねらい」と呼ぶのですが、その現れ方はさまざまです。

「見たい」
「聞きたい」
「さわりたい」
「匂いをかぎたい」
「味わいたい」

という、五感に直結するものから、

作りたい、描きたい、塗りたい、貼りたい、動かしたい、歩きたい、走りたい、跳びたい、くぐりたい、乗りたい、なりたい、演じたい、奏でたい、感じたい、表したい、踊りたい、捕まえたい、育てたい、世話したい、一緒にいたい、あげたい、

……などなど、まさに多種多様な「したい」「やりたい」があります。

子どもが「遊び」を生み出すのは、自分の心が素直に動いた瞬間。それは、ほんのちょっとした、短くも微かな、子どもたちの心持ちなのです。 

雨の日の庭で

こんなことがありました。
ある雨の日、1歳児のAちゃんがふらっと園庭に出て行きます。傘もさしていません。カッパも着ていません。そのまま、ふらふらと歩いていきます。

「雨に濡れたいのかな」「水たまりに入りたいのかな」「園庭のトンネルに入りたいのかな」……保育者はじっと見つめています。そろそろ声をかけようと、「カッパを着ようか」と持っていきます。Aちゃんは最初、少し嫌がりましたが、カッパを着て、裸足でまた雨の中へ出て行きました。
 

同じ雨ですが、こんなふうに楽しむ子もいます。

傘をさし、カッパを着た5歳児の女の子2人組が、「いっしょにさんぽにいこう」と園長の私を誘いにきました。雨の園庭をゆっくり歩いていくと、花の中にしずくがたまっています。

それを見つけたSちゃんが言います。「わー、キレイ。ひかっているね」。
Yちゃんが、「はなもキラキラしているね」と応えます。
「花もうれしいだろうね」と私が言うと、2人ともニコッ。

2人は、友だちを呼びに行きました。
たくさんの子どもたちが、「見たい」という気持ちをもって集まってきます。

“化石” がゴロゴロ

子どもたちの「したい」気持ちは、時に、変化していきます。
園庭の築山を、子どもたちが掘っています。夢中になっているのは、5歳児のIくん、Mくん、Hくんの3人。──恐竜の化石を掘り当てようとしているのです。掘って、掘って、掘りまくります。築山はもう凸凹。なんとも爽快感のある姿です。掘ると石がゴロゴロ出てきます。その石を手に取り、刷毛で砂や土を落としていきます。水で洗ったりもしています。

珍しい形や色の石が見つかると、見せ合って喜んでいます。「ティラノサウルス」「マンモス」「ダンクルオステウス」──たくさんの “化石” が見つかっていきます。子どもたちにとって、それは本物の化石と変わらない魅惑的なもの。園庭は、古代にもつながるのです。

この遊びの中に、どれだけの「したい」「やりたい」があるでしょう。

Iくんは最初「ほりたい」気持ちが強くて、そこから「ともだちとあそびたい」→「どうぐをつかいたい」→「めずらしいものをみつけたい」と変わっていきました。

Mくんは恐竜博士です。「みつけたい」から始まって、「しらべたい」→「ならべたい」→「ほんものの化石みたいにしたい」と気持ちが移っていきまた。

Hくんは終始、「ほりたい」「ともだちとあそびたい」が気持ちの大部分です。

──こんなふうに、自分の気持ちに素直に子どもたちは行動します。自分の「したい」「やりたい」と「行動」がセットになった時が、「遊びが生まれる瞬間」なのかもしれません。そして、一緒に遊びながら、それぞれの「したい」「やりたい」が通じ合っていく。だからこそ遊びは、子どもたちにとって心地よく、楽しいのです。

ちょっとした遊びの中にこそ

園という場所では、保育者が子どもの「したい」「やりたい」を感じとり、対話し、知っていく中で、環境を構成します。例えば、化石掘りなら、土を掘りやすい道具を築山に置いてみたり、収拾した化石を収める入れ物や刷毛をすぐ取り出せるようにしておいたりします。

うまくヒットするときもあれば、子どもの気持ちとずれてしまう時もあります。ずれた時は、道具を変えてみるなど、すぐにアプローチを修正します。そうやって少しずつ、子どもたちの心を知ろうとします。

子どもたちが喜んで登園し、満足して降園できるよう、日々の環境を豊かに整えること。それは、さまざまな「したい」を生み出し、豊かな毎日を繰り返すための環境の保障です。

子どもたちの「遊び」は、生まれては消えていきます。発展した遊びや、広がった遊びだけが美しいのではありません。ちょっとした遊びの中にこそ、その子らしさが生まれていて、そのささやかな遊びは、大人が気づかないうちに消えているかもしれません。でも、一瞬の遊びにこそ、本当の輝きがあるのです。

今日もたくさんの遊びが生まれつづけています。

それを、たくさん、たくさん、面白がりたい園の日々です。
  

 イラスト・おおつか章世


第1回・春とともに を読む
第2回・友だちの見つけかた を読む


*園の先生方へ こちらもよろしければご覧ください こどものともひろば

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