子どもと過ごす時間を大切に思っていても、いつも一緒というわけにはいきません。入園すると子どもは親の手を離れ、園で多くの時間を過ごします。わかっているようで、じつはよく知らない「子どもの園生活」。この連載では、大阪府堺市の「おおとりの森こども園」で園長を務める松本崇史さんの目を通して、子どもたちの日々を覗いていきます。
家庭の生活と、園の生活には、大きな違いがあります。家庭の生活は家族を中心としたプライベートなものですが、園の生活は多様な人と過ごす集団生活です。
時間の過ごし方や、話し方、やるべきこととやらなくてよいことの線引きなど、家庭ごとに生活様式は異なります。さまざまな生活様式の子どもたちが園に集まるので、園では多くのことを多くの人と共有しながら生活しなければなりません。
「こそあど言葉」(*1)で通じ合える家族とは違うのです。自分の気持ちとは異なる、ほかの人の気持ちがあることを、言葉や関わりを通して子どもたちは感じ、知っていきます。
ただ、子どもたちにとっては、家庭も園も地続きで、連続しています。「私」と「公」を分けることが、まだ難しい年齢でもあります。
だからこそ、生まれるもの。
──それが「衝突」と「葛藤」です。
*1 こそあど言葉=「これ・それ・あれ・どれ」などの指示語。
つい先日、こんな場面がありました。
4歳児のHくんをきっかけに生まれた「衝突」です。
Hくんは、保育室で大きな積み木を使って、家や乗り物をつくっていました。ほかの子どもたちも多く参加して遊んでいました。楽しい時間が過ぎて、そろそろ給食という頃合いになり、子どもたちが片づけを始めました。すると、Hくんが泣きわめきはじめたのです。
Hくんは泣きながら、ほかの子の反応などお構いなしに、その手にある積み木を奪い取っていきます。その場にいた子は、その迫力に半ば呆然……。

そこに保育者が登場して、やっとHくんは暴れるのをやめました。でもまだ泣き続けています。保育者が話を聞こうとしても、Hくんは涙が止まりません。嗚咽をもらしながら、「だ・・・まだ・・・あ・・・・あ・・・」と言葉になりません。
保育者が困っていると、まわりで聞いていた子どもたちが先に理解して、「片づけたら、また明日つくるのに時間がかかるから、そのままにしときたいって」と教えてくれました。子どもが子どもを理解する力には驚嘆するばかりです。
そのあと、Hくんが泣きやむのを待って、話し合いがはじまりました。
H:(積み木でつくったものを)こわさないで。
K:でも、そうしたら、あとでおやつ食べる場所がないよ。
I:サークルタイム(*2)もできないよ。
H:じゃあ、あっちの片づけたら?(ほかの子が別の玩具で作ったものを指さす)
保育者:えっ、Hくんのは壊したらあかんけど、ほかの子のは、なくなってもいいの?
H:うん。
みんな:……。
そこから話し合いは続き、積み木の家の一部は残し、スペースをあけることになりました。
──じつは、この時にかぎらず、Hくんはまわりの子と衝突を繰り返してきました。自己中心性(*3)が強いところがあり、入園当初は、ほかの子や保育者と会話を交わすことも簡単ではありませんでした。それが少しずつ、ほかの人の話を聞けるようになってきたのですが、まだ時々衝突は生まれます。
先ほどの話し合いを振り返ってみると、ほかの子は、Hくんとは異なるレイヤーで話していることがわかります。どうしたらみんなが生活しやすいか? を主軸に話しているのです。一方のHくんは、「自分のものがどう守られるか?」という視点です。両者が交わるのは簡単なことではありません。
*2 みんなで輪になって対話や意見交換をおこなうこと。
*3 自己中心性は、幼児期に見られる特徴のひとつ。自分に見えているものや、自分が考えていることが中心にあり、そこから世界や物事を認識しようとする傾向を指す。他者の視点の理解へとつながっていく、成長の過程。
このような「自分」と「他者」の気持ちの衝突は、あらゆるところで生じます。大きな衝突もあれば、小さな衝突もあります。そうした衝突から生まれるものが「葛藤」です。
子どもが「園に行きたくない」と、親に伝えることがあるかもしれません。親は我が子のことが心配です。「友だち関係は大丈夫でしょうか?」「園での様子はどうですか?」と園に相談します。そういう時、よほどのことがないかぎり、園は「大丈夫です」と答えます。
子どもは集団生活の中で「衝突」し、他者との関わりの中で生まれた「新しい自分」に気づきます。そして “今までの自分” と “新しい自分” の狭間で「葛藤」が始まります。それをうまく言葉にすることができないからこそ、「行きたくない」と表現するのです。
心の中で “今までの自分” が「わたしはこうしたい!」と叫びます。すると “新しい自分” が小さな声で「でも、〇〇ちゃん(友だち)のことも好きだから、どうしよう」とささやきます。──そんなふうに子どもは必死に、自己内対話を繰り広げていきます。そうして何を大切にしていくか、どのように生きていくか、自分の道を選びとっていくのです。

保育者は、子どもの葛藤に気づくと、「友だち関係をどうしたいのかな」「ほかの子と一緒に活動する機会があると、もっとよい経験ができるかな」など、さまざまなことを考えます。その子が自身の「葛藤」を言葉にできるように、対話もします。ただ、保育者のいちばんの仕事は「待つ」ことです。
「待つ」というと、温かい対応のように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。子どもにとっては厳しい現実です。子どもにしてみれば、「みんなで仲よくしましょう。だから、こうしなさい」と言われる方が、どれだけ楽でしょう。
保育者は待ちます。その子がどういう道を歩もうとするか、自分で考え、選ぶのを待ちます。子どもたちは、誰の力でもなく、自分の力で踏み出すために葛藤します。そこに手をさしのべるは簡単ですが、その葛藤の先に、その子自身の成長があると信じて「待つ」のです。
「待つ」ということは、何もしないことではありません。保育者のひと言が、灯台のようにその子の進む道を照らすかもしれません。そのために保育者はさまざまなことを考え、対話をつづけながら、その時を信じて待ちます。
いずれ、それぞれの子どもたちの道は交差します。
いつか、大人の手から離れていきます。
ある5歳児が、私に伝えてくれたことがあります。
「さっき、あっちでケンカしてたから、自分たちで話し合っといた。わかった? フンッ!」と。まるで「大人の手は必要ありません」と言われたようでした。
──トラブルは成長のチャンス。子どもの「衝突」と「葛藤」は、保育者の手を、大人の手を、健全に離れていくための大切なプロセスではないでしょうか。
イラスト・おおつか章世
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