絵本のとびらを開いたら

《絵本のとびらを開いたら》第2回「耳で聞いてわかりやすく、目で見て納得する絵本」

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図書館の司書として長く子どもたちに本を手渡してきた伊藤明美さんに、絵本の魅力や楽しみ方について幅広く語っていただく連載です。絵本の奥深い世界をのぞいてみましょう!

第2回「耳で聞いてわかりやすく、目で見て納得する絵本」

絵本『こすずめのぼうけん』

『こすずめのぼうけん』は、こすずめが生まれて初めておかあさんすずめに飛び方を習う場面から始まります。

「すのふちに たちなさい」「それから、あたまを うしろに そらせ、はねを ぱたぱたと やって、さっと とびだすんです。そして、いしがきのうえまで いったら、きょうの おけいこは、それで おしまい」

おかあさんの言葉どおりに羽ばたいたこすずめは、地面に落ちずに空に浮き、もっと遠くに飛んでいける、と、先へ先へ飛んでいきます。でも、そのうちにくたびれてきて、休ませてもらおうと、大きな巣の縁に立ちます。

こすずめが、
「あの、すみませんが、なかへ はいって、やすませていただいて いいでしょうか?」
と尋ねると、巣の主は、
「おまえ、かあ、かあ、かあって、いえるかね?」
と聞きます。巣の主は、大きな黒いからすでした。
「いいえ、ぼく、ちゅん、ちゅん、ちゅんってきり いえないんです」
「じゃ、なかへ いれることは できないなあ。おまえ、おれの なかまじゃないからなあ」

こんなやりとりが、からす、やまばと、ふくろう、かも、と交わされます。どの鳥も、鳴き声が違うことを理由に、こすずめを巣に入れてくれません。

絵でも、言葉でも、表現されることの意味

保育園の4歳クラスにこの本を読み聞かせしたとき、子どもたちは、すごく静かに、真剣に聞いていました。最初、ちゅんちゅんという音の響きを笑っていた のり君たちも、こすずめが何度も拒否される展開に、心配そうにだまってしまいました。

夕方になり、疲れ切ったこすずめはもう飛ぶことができず、ぴょんぴょん、ぴょんぴょんと地面を歩いて行きます。黄昏時の風景のなかに、たった1羽のこすずめ。

子どもたちの心配は募ります。(帰れるのかな?)(大丈夫かな)と子どもたちのひそひそ声が聞こえます。

すると、むこうのほうから、地面をぴょんぴょんやってくる鳥の姿が。その鳥はシルエットで描かれています。(おかあさんじゃない?)(おかあさんだよきっと)と、子どもたちの声が聞こえます。

ページをめくると、次のページには、こすずめとおおきなすずめが向き合って描かれます。
「ぼく、あなたの なかまでしょうか?」
「ぼく、ちゅん、ちゅん、ちゅんってきり いえないんですけど」
と、こすずめは尋ねます。
「もちろん、なかまですとも」「わたしは、おまえの おかあさんじゃないの」
と大きなすずめが言います。

『こすずめのぼうけん』は、絵本ではなく、ストーリーテリング(物語を覚えて本を見ずに語ること)で語られることも多くあります。以前、読み聞かせやストーリーテリングのボランティアさんの勉強会で、この場面のことが話題になりました。

絵本では、絵でおかあさんすずめだとわかるのに、なんでわざわざこすずめが「ぼく、あなたの なかまでしょうか?」と聞く必要があるんだろうかという疑問です。
絵本を使わず耳からおはなしを聞くストーリーテリングの場合、向こうから来る鳥の特徴はぴょんぴょんと歩く音だけで、おかあさんかどうかはわかりません。そこで、「もちろん~」とおかあさんが言うことで、母子の劇的な邂逅の場面が印象づけられます。
それが、絵本では、絵によって先におかあさんすずめだとわかってしまうために、劇的な邂逅が自明のことのように見えてしまうのです。

けれども、子どもたちにこの絵本を読んでいると、この絵が必要であることがわかります。
子どもたちは、シルエットの絵を見ただけでは、(おかあさんかな?)(おかあさんだよね?)と半信半疑です。そして次のページでこすずめとそっくりな鳥が出てくると、(ほら、おかあさんだよ)と期待は確信に近づき、「もちろん~」とおかあさんが言うことで、(やっぱりおかあさんだ!)と確信するのです。子どもたちは、絵でおかあさんだとわかっても、言葉でちゃんと言ってほしいのだなあと思いました。

こすずめと一緒に心細い思いをしている子どもたちの心は、絵でも言葉でも表現されて、やっと落ち着くのです。

愛されている確信の上に

「泣いてる! 泣いてるよ!」と叫んだのは、最初、ちゅんちゅんという鳴き声を笑っていた のり君です。えっ? と思って再会の場面の絵をよく見ると、こすずめの丸い目にかすかな涙が……。「本当だね」と思わず言うと、のり君はうなずいてじっと絵を見ていました。

次の場面は、こすずめがおかあさんすずめの背中におぶさって巣に帰る絵。最後の場面は、おかあさんすずめの翼の下でねむりました──という絵。ここに至って、子どもたちは心の底から安心しておはなしを聞き終えます。「ああ、よかった」しみじみと、子どもたちが言いました。こすずめがいかにたいへんな一日を送ったか、子どもたちはわがこととして体験していたのです。

わたしはこの本を読んでいて、おかあさんすずめの気持ちを思うと胸が痛くなります。まだろくに飛べないわが子がどこに飛んでいってしまったか、あちこち必死で探し回ったでしょう。大きな鳥に狙われないか、狐や猫に襲われないか、気が気ではなかったでしょう。夕暮れに再会した場面では、無事なわが子を見つけて、どれだけほっとしたことでしょう。

しかし、このおかあさんはこすずめを責めません。「きょうは、いちにち、おまえを さがしていたんですよ」とは言いますが、「もう、二度とこんなことをしてはダメですよ」などとは言いません。「わたしの せなかに おのり。いえまで おぶっていってあげるから」と言うだけです。

これは、『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』で、機関車のちゅうちゅうがひとりで走り出したものの、使われていない線路で立ち往生してしまった後、機関士に救い出された場面と同じです。機関士たちはさんざん苦労してちゅうちゅうを探したのに、ちゅうちゅうを責めません。無事だったことを喜ぶだけです。だからこそ、ちゅうちゅうは最後のページで、「わたしは、もう にげだしたり しません」と、この先もずっと彼らと一緒に仕事をすると言うのです。仲間たちといる幸せを感じて。

一方、こすずめも、「おかあさんのところに帰りたいよ」とは、ただの一度も言っていません。おかあさんと再会したときも「ごめんなさい」とも言いません。

では、こすずめはおかあさんすずめに会いたくなかったのかといえば、そんなことはないでしょう。心細くてどうしようもない気持ちだったに違いありません。「ぼく、あなたの なかまでしょうか?」は、そんなこすずめが、残った力を振り絞って、せいいっぱい発した言葉です。

この物語の文章は簡潔で、感傷的な言葉を使わず、こすずめの行動と会話だけで展開します。だからこそ、耳で聞いてわかりやすく、子どもたちは、こすずめやおかあさんの心の内をそれぞれに想像するのではないでしょうか。

子どもたちはどんどん未知のことに挑戦します。それが成長の証なのですが、大人はハラハラさせられます。でも、子どもの気持ちを尊重することで、子どもは <自分は愛されている> <見守られている> と感じます。冒険しても帰ってこられる場所がある、待っていてくれる人がいる、そのことが、次の冒険につながっていきます。

この絵本が子どもをひきつけて離さないのは、こすずめのした冒険がどきどきするものだったことに加えて、根底に、こすずめとおかあさんの愛着関係があり、子どもたちもそれを感じているからでしょう。

黄昏時の場面から最後のページまで、奥付ページの絵を入れると5場面の絵があります。こすずめがした冒険の余韻がおさまるまでには、そのくらいたっぷりとした時間が必要だということを、アートディレクターでもある画家、堀内誠一さんはわかっていたのだと思います。


読み聞かせが終わってみんなが立ち上がっても、のり君は、ずっと座ったままの姿勢でこの絵本を見ていました。「おへやに持って帰る?」と聞くと、「うん!」といって、立ち上がり、大事そうに胸に抱えて帰っていきました。いつもさわがしい のり君が、初めて静かに聞いた絵本でした。

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