手から手へ 松居直の社内講義録

第6回 「こどものとも」創刊のころ⑥ 石井桃子さん、瀬田貞二さんに出会う

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月刊絵本「こどものとも」を創刊し、多くの子どもたちに愛される絵本や童話の数々を送り出した編集者・松居直(まつい ただし)。この連載では、松居が2004年9月から2005年3月にかけて新入社員に向けて行った連続講義の内容を編集し、公開していきます。

石井桃子さん、瀬田貞二さんに出会う

石井桃子さんに最初にお会いしたのは、岩波書店にうかがったときでした。玄関をちょっと入ったところで、いぬいさんとみこさん(*1)が、あるご婦人と話をしていらして、私に「石井桃子先生です」と紹介してくださいました。

私は深々と頭を下げました。「この方が『クマのプーさん』の訳者か……」と思ったんです。戦争中に『熊のプーさん』(岩波書店、1940年・*2)を読んで、本当に小春日和に包まれているような感じがしました。ミルン(*3)という人の作品が、現実から別の世界に連れていってくれて、そして語りかけてくるのがよくわかりました。『プー横丁にたつた家』(岩波書店、1942年・*4)も読みました。それで石井桃子という名前を知っていたのです。「『クマのプーさん』をありがとうございました」という気持ちで、私は深くお辞儀をしたのです。

その後で、いぬいさんが、「あなた、絵本をやるんだったら、もう一人、とっても絵本のことをよく知っている人がいらっしゃるから、お会いなさい」とおっしゃって、瀬田貞二(せた ていじ)さんを紹介してくださったんです。その当時、瀬田さんは、平凡社の『児童百科事典』(*5)の編集長でした。その瀬田さんのもとにいらしたのが、大塚勇三さん(*6)たちだったんです。そのグループには、日本の児童文学のすぐれた書き手がたくさんいました。瀬田さんはそういう人を集めていたんだと思います。

平凡社の『児童百科事典』は、ほとんど瀬田さんの目が通っていますから、解説文も単なる百科事典の解説とは違います。子どものことを考えて文章ができている、そういう、世界でも稀な児童百科だと思います。

私は平凡社におじゃまして、瀬田さんからいろいろ教えていただきました。当時は書庫でよくおしゃべりをしていたな、応接間がなくて。本当に何にもなかったところで、少しずつ、少しずつ、絵本に関心をもつ人どうしがつながって、横の連絡が取れるようになっていったんです。瀬田さんは見識や知識だけではなく、本当に絵本というものがわかっていらっしゃるという印象を私は受けたものですから、絵本について「こどものとも」の読者のために書いてくださいとお願いしました。そうして、1956年からずっと、「こどものとも」の折込付録(*7)に、絵本に関するエッセイを書いていただきました。それが『絵本論』(1985年)の核になっているものです(*8)。日本で初めて絵本論を書いた人は、瀬田貞二さんだと思います。

毎月いただく原稿を読んでいますと、見事な言葉の使い方で、日本語というものがどれほど豊かであるかということを、私は編集者として学びました。私の知らない言葉が使ってあるんですけど、辞書を引くと、ぴたっとした使い方なんですよ。本当に瀬田さんからはたくさんのことを学びました。私がものを書けるようになったのは、瀬田貞二さんの編集者だったからかもしれません。 

丸谷才一が読んだ「こどものとも」

瀬田さんの文章について、1970年代に書いている人がいます。文筆家の丸谷才一(まるや さいいち)で、『日本語のために』(*9)という本の中です。丸谷さんの意見はやっぱり編集者としては非常に気になりましたから、本が出たときにすぐに買って読んだら、絵本のことも書いてありました。当時の評論家や作家で、絵本について書く人はほとんどいなかったのに、この本には文体論の中に「最初の文体」として、絵本の文章が取り上げられていました。

ちょっと引用して読んでみましょう。

「人生最初の文章は読んでもらふ文章である。これは誰の場合だつてさうだろう。つまり、たいていの場合、両親(殊に母親)に読んでもらふ絵本の文体が、最初の文体といふことになるはずだ。そして絵本といふのは、くりかへしくりかへし読んでもらふものだから、絵本の文体が人間の意識に与へる影響は恐しいくらゐだらう。
ところが普通の本屋で売つている絵本の場合、絵のほうもひどいけれど、文章もまた負けず劣らず大変な代物である。」『日本語のために』174頁

……そして、実際の絵本の文章を引用した後、こう続けます。

「しかし、子供のほうはかはいさうである。人生の出発に当つてこんな駄文をくりかへし読んで聞かせられれば、これが文体だと思ひ込むのは当然だらう。それはちようど、まづいミルクで育てられれば、かういふ味がミルクだと思ひ込み、味覚がすつかり駄目になるやうなもので、文体感覚は決定的にをかしくなるのだ。」同 176頁

これは言えると思います。そして、その後に、悪い例だけではなく、

「もつとも、日本の絵本だつてまんざら捨てたものではない。たとへば福音館の『こどものとも』絵本などは、」同 176-177頁

と書いてあるんです。僕はしめしめと思いました。

「全部が全部ではないけれど、なかにはじつにいい文体で書いてあるものもある。実を言ふと、わたしは先日、『絵本』といふ雑誌の八月号を読んでゐて、と言ふよりもむしろめくつてゐて、記憶のある絵が二つ(一つは黄褐色の地に黒い線の絵でこれは大きく、もう一つは黄緑色の地に黒い線でこれはその下に小さく)並んでゐるのに愕然としたのだ。説明を見ると、瀬田貞二訳、井上洋介絵の『おだんごぱん』とあつて、福音館の月刊絵本『こどものとも』の一九六〇年二月号である。そしてこれは、うちの長男のためにわたしが選んでやつた絵本のうち、子供も、そしてわたしたちも、特に気に入つてゐた傑作であつた。これはたしか、韋編三絶といふくらゐ読んでやつたため、新しくもう一冊、買ひ直したはずだ。あのころわたしは、子供に絵本を買つてやると、文章のあまりひどいところは直してから読んでやつてゐたのだが、この一冊だけは朱を入れる必要がまつたくなかつたのである」同 177頁(*10)

瀬田さんの文章がどれほどよいかということが、具体的に書いてあります。私は自分が編集した絵本が、こういうふうに取り上げられているわけですから、もう背筋が寒くなる思いをしました。でも一方で、「瀬田さんの文章がよいということは、丸谷さんはわかっているんだね」と思いました。

こどものとも1960年2月号『おだんごぱん』 瀬田貞二 訳 井上陽介 画

「挿絵」ではなく「挿文」だった

それから、初期の「こどものとも」の文章がすべて十分だったかというと、そういうわけでもないということは、私はわかるような気がするんです。

これは与田準一さんに直接聞いたお話ですけれども、日本の戦中戦後の子ども向けの絵雑誌は、文章があって絵を描くのではなく、編集部で企画を立てて、絵を描いてもらって、その絵を持って作家や童謡詩人のところへ行く。そして作家は、その絵に当てはまる文章を書いてください、と言われるのが普通だったそうです。与田さんは、「挿絵という言葉があるけど、“挿文” ですね」とおっしゃいました。

ですから、私が文章や物語を先に用意して、それに絵を付けて、1冊の絵本という形で出すということをやったのは、当時の作家としては珍しい、馴染みのない方法だったことになります。

丸谷さんは、さらにこう書いています。

「名文でなくてもいいが、文章が生きてゐる必要はある。死んでゐる文章、どんよりした、影の薄い文章では困るのだ。わたしに言はせれば、文体論でいちばん大事なのはこのことなのである。もちろん、生きてゐる文章といふものこそ、何のことはない、名文なのだといふ考へ方も成立するわけだけれど。そしてわたしは、子供に与へる文章といふのはぜつたい、上手下手はともかくとして、生きのいい、生気にみちた、文章でなければならないと思つてゐる。それは子供に人間の精神と文体との関係を教へるのである」『日本語のために』180頁

大賛成です。最近は、そういう絵本が日本の絵本の中で少なくなりました。絵のことは割合言われるんだけど、文章のほうをきちんと言う人が、本当にいなくなってきた。文章に何となく、文体がないんですね。
 

*1 いぬいとみこ(1924-2002年) 岩波書店の編集者であり、児童文学作家。『ながいながいペンギンの話』(理論社/岩波少年文庫)『トビウオの ぼうやはびょうきです』(金の星社)『木かげの家の小人たち』など
*2 『熊のプーさん』は戦時中に絶版になるが、戦後に英宝社が刊行。その後、1956年に『クマのプーさん』に改題され、岩波少年文庫から刊行
*3 A・A・ミルン(1882-1956年) イギリスの児童文学作家で「クマのプーさん」シリーズの作者
*4 『プー横丁にたつた家』も戦時中に絶版になり、戦後、英宝社より『プー横丁』として刊行。1958年に『プー横丁にたった家』の題で岩波少年文庫から刊行
*5 『児童百科事典』(平凡社)は1951年刊行。全24巻。瀬田貞二はこの事典の編集に8年(1948-1956年)を費やした
*6 大塚勇三(1921-2018年) 児童文学者、翻訳家。スーホの白い馬の再話やトム・ソーヤーの冒険の訳など、多くの仕事を遺した
*7 「こどものとも」に挟み込まれている付録の小冊子
*8 「こどものとも」折込付録の1956~73年のエッセイの多くを絵本論に収録
*9 『日本語のために』(新潮社、1974年)の「Ⅲ当節言葉づかひ」に引用箇所の記載がある。同書は1978年に新潮文庫から刊行。2011年刊行の『完本 日本語のために』にはこの章は収録されていない
*10 文中の「葦編三絶」は、孔子が易経を好み皮紐が何度も切れるほど読んだことから、ぼろぼろになるまで書物を繰り返し読むことのたとえ

 
*出版社名の記載のないものは福音館書店刊

イラスト・佐藤奈々瀬

 

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