手から手へ 松居直の社内講義録

第5回 「こどものとも」創刊のころ⑤ 休刊直前の窮地を救ったものとは…?

絵本 |
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月刊絵本「こどものとも」を創刊し、多くの子どもたちに愛される絵本や童話の数々を送り出した編集者・松居直(まつい ただし)。この連載では、松居が2004年9月から2005年3月にかけて新入社員に向けて行った連続講義の内容を編集し、公開していきます。

初年度の作品群 ② 
個展を開くエネルギーを1冊の絵本に込めて

うりひめとあまのじゃく

1957年1月号/通巻10号

瓜から生まれた「うりひめ」のもとに
ある日、あまのじゃくがやってきます

秋野不矩(あきの ふく)さんが絵を描かれた最初の絵本です。お願いにあがったとき、秋野さんは日本画の世界でもう本当に偉い方でしたから、描いていただけるかどうかわからなかったんですけど、京都のアトリエへうかがいましたら、「子どものために絵本を作るんだったら喜んでやります」とおっしゃったんです。

「こどものとも」の創刊号を描いていただいた堀文子(ほり ふみこ)さんも、以前同じことをおっしゃいました。「展覧会に出していろいろな人に見てもらっても、たかだか何千人の人にしかならない。ところが絵本は、何千人何万人の人が、しかも親も子どもも見てくれるから、絵描きとしてはやりがいのある仕事です」と。堀さんは全力投球で描いてくださいましたし、最後にでき上がって私に渡してくださる時に、「個展をするのと同じぐらいのエネルギーがいりますね」とおっしゃったんです。そういう気持ちで、この頃の絵描きさんは描いてくださっているんです。 

ねずみのおいしゃさま

1957年2月号/通巻11号

ねずみのお医者様は、
往診に行く途中、雪で立ち往生。
近くの家に避難しますが、
寝入ってしまって……

画家は、永井保(ながい たもつ)さんという、どちらかというと漫画家に属する方で、新聞漫画などを描いていらっしゃいました。文章は中川正文さんで、僕が大学生のころに『青い林檎』(百華苑)という童話を読んだことがあり、おもしろい作家だなと思っていたんです。非常にセンスのある人だと思ったものですからお願いをして書いていただきました。 

ひとりでできるよ

1957年3月号/通巻12号

服を着ること、歯磨き、そうじ
生活の中のことを自分で
できるようになる喜びを描いた絵本

いわさきちひろさんの初めての絵本です。それまでにも絵雑誌などの絵は描いていらしたけど、だいたい1場面ずつの挿絵でした。でも、それがいいんです。若いのに本当にデッサンのよくできる人だと思っていたものですから、思い切って「1冊描いてみませんか」とお願いをしたんですけど、なかなか絵ができてこない。「子どもがいて、どうしても家では1冊描くということができてこない。缶詰(*1)にしてください」とおっしゃったものですから、神田の三崎町の近くの旅館に10日間ぐらいかな、缶詰にさせていただきました。 

ちょうどお子さんが生まれたばかりの頃でしたから、赤ちゃんのことが気になられるんですけれども、一所懸命描いて、仕上げてくださったんです。完成した絵をいただきにうかがったら、私にぱっと絵を渡すなり、タクシーで、ぱーっと帰られました。今でもその後ろ姿が焼きついています。本当に赤ちゃんに会いたかったんだということが、全身からにじみ出ていましたからね。いわさきちひろさんの絵本は福音館では2冊しか出ていません。文を書いた小林純一さんは童謡詩人です。 

「こどものとも」の窮地を救った受賞

2月号を出した頃、「こどものとも」があまりに売れないから、社内では「やめよう」という話になりました。「これはもう続かない、お金ばかりかかるから」と。私はノイローゼみたいになって、1週間ほど会社へも行かないで、ふて寝をしていました。もうどうしていいかわからないんです。これだけ一所懸命やって、会社としても一所懸命販売していて、それでも売れないんです。刊行部数はようやく1万部ぐらいまでいっていたのかな。その部数では赤字が続くから、ちっぽけな出版社ではとても持ちきれないということで、私もやむを得ないなと思っていました。

そんな時に、産経児童出版文化賞をいただいたんです。でも、そのような賞があるなんて、聞いたことがありません。当時の役員が広告代理店へ電話をして「どういう賞ですか?」と確認したら、「日本の子どもの本の出版賞としては最高のものです」との返答があったそうです。すぐに自宅に電話がかかってきました。翌日会社へ行きましたら、「出版文化賞をもらったのに、やめるわけにはいかないだろう」という話になり、すでに2年目の4月号、5月号に取りかかっていましたから、そのまま続けることになりました。  

初年度の作品群 ③ 「こどものとも」は2年目へ

みなみからきた つばめたち

1957年5月号/通巻14号

生まれ故郷の日本を目指し
ツバメたちは長い空の旅に出ます

竹山博さんが描いた2冊目の絵本(*2)です。いぬいとみこさんが、絵本の文章を書いた、最初の作品でもありますね。いぬいとみこという人は岩波書店の編集者で、『ながいながいペンギンの話』(宝文館)などの幼年向きの童話を書いた人です。当時のいぬいさんはいわば新人だったわけですが、非常に期待してお願いをしたら、この渡り鳥の話を書いてくださった。いぬいさんらしいなと私が思ったのは、この絵本は沖縄が舞台なんです。米軍基地が描かれていて、「ひこうきの おそろしい ばくおんが、びりりりと、あたりを ふるわせています」と書かれてます。いぬいさんも平和論者ですからね。  

もりの むしたち

1957年8月号/通巻17号

畑、草むら、砂地、森で
いろんな虫たちに出会います

三芳悌吉(みよし ていきち)さんの初めての絵本です。私は虫の本が出したかったんです。乗り物の本とか、いろいろなジャンルのものをできるだけ1年のうちにうまく組み合わせて出そうと思っていましたから。

三芳さんも展覧会で見つけました。行動美術協会の展覧会を見ていると、いつも油絵で虫を描いている絵描きさんがいるのです。その虫がとてもいい。それが三芳悌吉さんでした。虫の本を三芳さんにお願いしようと思って、この絵本はできたわけです。




*1 「缶詰」=仕事が終わるまで出版社が提供した宿泊場所で作業を継続すること
*2 竹山博の1作目の絵本は「こどものとも」1956年10月号の『ちいさな きかんしゃ

 

*出版社名の記載のないものは福音館書店刊

イラスト・佐藤奈々瀬

 

第1回 「子供之友」と「こどものとも」 を読む
第2回 黒い表紙の創刊号 を読む
第3回 茂田井武の『セロひきのゴーシュ』 を読む
第4回 私がどういうふうに企画を立てていったか を読む

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