手から手へ 松居直の社内講義録

第21回 福音館の本づくりの原点⑥  海外の出版社・編集者との出会い

絵本 |
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月刊絵本「こどものとも」を創刊し、多くの子どもたちに愛される絵本や童話の数々を送り出した編集者・松居直(まつい ただし)。この連載では、松居が2004年9月から2005年3月にかけて福音館書店の新入社員に向けて行った連続講義の内容を編集し、公開していきます。

福音館の本づくりの原点⑥  海外の出版社・編集者との出会い

今日は初めてフランクフルトのブックフェアへ行ったときのことを中心に、海外へ行って私が何を見るのか、どういうふうに見てきたのかということをお話ししたいと思います。

フランクフルトのブックフェアに出展

1962年の9月に初めて海外へ行きました。フランクフルトのブックフェア、国際書籍見本市です。それが日本の出版界、日本書籍出版協会が初めて正式にブックフェアに参加をしたときになります。どういういきさつかは覚えていないのですが、メンバーに加えていただくことになりました。

羽田からエールフランスで飛び立ちました。そうしたら、日本のキャビンクルーがいて、なんと振り袖を着ていた。びっくりしました。国際線では、そういう時代もあったんです。アンカレッジ経由でコペンハーゲンに着きました。

その後、到着したフランクフルトでは、ブックフェアの日本のブースの中にスペースをいただきましたから、福音館の本を展示しました。東京でお会いしたときに、「フランクフルトへ来たら会いましょう」と約束をしていた、ベッティーナ・ヒューリマンさんがいろいろなことを教えてくださったり、おすすめの出版社に案内してくださったり、ヨーロッパの専門家を紹介してくださったりしました。

日本ですぐれた絵本が生まれる理由とは?

ちょうど「こどものとも」から『おおきなかぶ』(1962年5月号/通巻74号)や、『だいくとおにろく』(同年6月号/通巻75号)、『かばくん』(同年9月号/通巻78号)を出したときで、それを並べて展示していたんです。そうしたら、たくさんの編集者が見に来て、熱心に手に取ってくれて、「どうしてこんなにいい本ができるんだ」と言われました。「日本は戦争に負けて大変な苦労をしたんでしょう。それから十年ちょっとしか経っていないのに、どうしてこれだけの質の絵本ができるのか」と何人からも言われたんです。日本に対しては、戦後から絵本を作り始めた国だという印象しかもっていなかったんですね。

それで私は「日本の絵本の文化は12世紀からはじまっているんです」とお話ししました。「12世紀、13世紀から物語を絵で表現するという豊かな伝統があって、それが今も大切にされているからです」と言ったんです。

翌年、私は鳥獣戯画のレプリカをブックフェアへ持っていきました。それを見せると、「これが12世紀の作品ですか。なるほど、それならこういう絵本ができるのも、もっともだ」と納得されました。

日本の出版界を育てた読者の存在

今年(2004年)の4月に、外務省から頼まれてスペインとポルトガルとフランスへ行ったのですが、このときも、日本はどうしてあんなに優れたアニメーションや、オリジナルのおもしろい漫画を作れるのか、日本がよい絵本を出版するのはなぜなのか、その源流を説明してほしいということでした。そのときは、日本によい芸術家がいたから、よい絵本が生まれたのではなく、それを読む人たちがいたから生まれたのだ、ということをお伝えしました。

1809年、江戸の町は人口100万の、しかも治安がものすごくよい都市でした。その江戸の町に約656軒の貸本屋があったそうです。貸本屋があるということは、文字を読める人がいたということです。ヨーロッパの人はそれを聞くとびっくりします。寺子屋で庶民の子どもに教育をするわけです。寺子屋の先生は4人にひとりは女性だったそうです。3人にひとりという説もあります。庶民の女性です。(R・P・ドーア著『江戸時代の教育』岩波書店)

1868年が明治維新ですけれども、当時の日本の6歳から13歳までの子どもの就学率が、男の子は43パーセント、女の子は10パーセントです。「世界最高である」とロンドン大学のドーアさんは書いています。だから、日本の出版界は急激に発展したのです。

とにかく、この1962年に初めて国際的な書籍見本市に参加をしまして、本当に刺激的な体験をいたしました。いろいろな国の人が見てくれて評価してくれたということも、とても自信をもつきっかけになりました。

歴史的建築物が残るフランクフルトのレーマー広場。松居もこの場所を歩いたでしょうか。

フレデリック・ウォーン社へ ─ イギリス

その後は、代表団ですからあちこち見学をするわけです。ロンドンでは、当時ロンドン大学に留学していたアニタ・ブラッシュという人が私の案内をしてくれました。私のいとこのいとこにあたる人で、日本語はよくできます。お父さんはクルト・ブラッシュという日本の禅画の研究家です。

アニタの案内で、フレデリック・ウォーン社(Frederick Warne & Co.)へ行きました。ビアトリクス・ポターの「ピーターラビット」のシリーズを出した出版社で、「ピーターラビット」のいろいろな刷本などを、当時の社長さんが見せてくださいました。「ピーターラビット」はいつか福音館で出版したいと思っておりましたから、大変勉強になりました。

編集者 メイベル・ジョージに会う

その後、オックスフォード・ユニバーシティ・プレス社(Oxford University Press)へまいりました。当時、イギリスでは最高の出版社で、子どもの本をよく出していました。私が出版したいと思っていた『チムとゆうかんなせんちょうさん』(1963年)もここで出していたものですから訪ねていきましたら、子どもの本の編集長がメイベル・ジョージさんだったんです。私はメイベル・ジョージという名前は知っていて、すごい編集者だということを感じていました。

当時、絵本はまだ少なかったのですが、オックスフォードの子ども向けの本の挿絵は非常にいいんです。どうしてこんなにすばらしい挿絵画家がいるのかと思うほどで、どういうふうに選んでいるんだろうと興味をもっていました。

メイベル・ジョージは、本当に存在感のある人でした。「チム」シリーズの著者アーディゾーニとも仕事をしてきた人です。その後、メイベル・ジョージが本格的に絵本を刊行するようになりました。キーピング(*1)やアンブラス(*2)、パパス(*3)や、ワイルドスミス(*4)、そういう白黒の挿絵を描いていた絵描きたち──非常にデッサン力があって、すごい絵描きさんたちだなと僕が思っていた人たち──に絵本を描かせるようになって、一世を風靡しました。僕がいちばん好きなのはキーピングです。いちばん力があると思います。

その後、メイベル・ジョージがリタイアしまして、それからイギリスの絵本の、いわゆる第2次黄金時代(*5)は終わりを告げたように思います。

*出版社の記載のないものは、福音館書店刊
イラスト・佐藤奈々瀬

 

 チャールズ・キーピング(1924-1988年) イギリスのイラストレーター、児童書作家。リーゼントストリート工芸学校で、リトグラフとエッチングを学ぶ。1967年に『チャーリーとシャーロットときんいろのカナリア』(現在ロクリン社より刊行)、1981年に『The Highwayman』(アルフレッド・ノイズ 詩)でケイト・グリーナウェイ賞、1975年にBIB金のりんご賞を受賞。
*2 ビクター・アンブラス(1935-2021年) イラストレーター。ハンガリーに生まれ、ハンガリー美術アカデミーで学ぶ。ハンガリー動乱に伴うソ連軍の鎮圧を逃れ、オーストリアを経てイギリスへ。ファーナム美術学校、王立美術大学で版画やイラストレーションを学んだ。馬の絵を得意とし、小説の挿絵を多く手掛けている。1965年の『The Three Poor Tailors』と1975年の『Mishka and Horses in Battle』で、ケイト・グリーナウェイ賞を2度受賞。
*3 ウィリアム・パパス(1927-2000年) イラストレーター。南アフリカで生まれ、後にイギリスのロンドン芸術大学のセントラル・セント・マーチンズで美術を学ぶ。その後、南アフリカに戻るが、1959年にイギリスへ移住。政治漫画家として活躍し、イラストレーターとしてもペンとインクを用いた作品を多く制作した。
*4 ブライアン・ワイルドスミス(1930-2016年) イギリスの絵本作家。ロンドン大学芸術学部で美術を学ぶ。1962年に『Brian Wildsmith’s ABC』(現在クレヴィスより刊行)でデビューし、ケイト・グリーナウェイ賞を受賞。80冊以上の絵本を手掛けた。
*5 イギリスの絵本史においては、ウォルター・クレイン、ランドルフ・コールデコット、ケイト・グリーナウェイらが活躍した19世紀後半を絵本の第1次黄金時代と呼ぶのに対し、1960~80年代を第2次黄金時代と呼ぶ。

 

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