月刊絵本「こどものとも」を創刊し、多くの子どもたちに愛される絵本や童話の数々を送り出した編集者・松居直(まつい ただし)。この連載では、松居が2004年9月から2005年3月にかけて福音館書店の新入社員に向けて行った連続講義の内容を編集し、公開していきます。
もうひとつ、力を入れていたのがインドとパキスタンとの関係です。
『きんいろのしか』(ジャラール・アーメド 案 石井桃子 再話 秋野不矩 画/1968年)を最初に出版したときは、まだバングラデシュが独立する前でした。東パキスタン(現在のバングラデシュ)、西パキスタン(現在のパキスタン)と言っていたころです(*1)。
インドやパキスタンの物語をなんとかして取り上げたいと思っていましたら、願ってもないような方が現れました。ジャラール・アーメドという人が、インドやパキスタンに伝わる昔話をぜひ日本で絵本にしてほしいと訪ねてきたんです。
ジャラール・アーメドさんは、児童文学の作家ではありません。インドのカルカッタに生まれ、1950年に東パキスタンに移住するのですが、子どものときから非常に苦労した人です。頭のよい人で、勉強をして交換留学生として来日し、東京大学で化学を専攻していました。このアーメドさんが、どうしてもインドやパキスタンの昔話を日本で出したいということで、この『きんいろのしか』の物語を書いてきました。
それを石井桃子さんに訳していただいて、当時からインドにたいへん関心をもっていらっしゃった秋野不矩(あきの ふく)さんに絵を描いていただいたんです。その絵を見たアーメドさんは、すこしインド的すぎます、と言っておられました。東パキスタンの人から見れば、この絵はインドに寄りすぎているということになるわけです。そのあたりがなかなか難しいところです。それでも、初めて日本でインドやパキスタンの風土に根ざした物語の絵本を出すことができたんです。

『きんいろのしか』
ジャラール・アーメド 案 石井桃子 再話 秋野不矩 画
昔、南の国に金が大好きな王様がいました。ある日、王様は森で金色の鹿を見つけます。鹿が踊ると、足下の砂が金に変わります。王様は鹿を捕らえようとしますが、うまくいきません。そこで、ホセンという牛追いの少年に鹿を連れてくるよう命じました。ホセンが鹿を連れて王様の御殿に到着すると、鹿は踊りはじめます。すると、金の砂がうずたかく積もって……。
秋野不矩さんは、その後、インドへ絵を教えにいらっしゃいました。一般的にはタゴール大学(別名:ヴィシュヴァ・バーラティ大学)と言われておりますけれども、インドの西ベンガル州にあるシャンティニケタンという学園都市に、芸術を学べる指折りの国立の大学があります。詩人のタゴール(*2)が始めた学校が礎になっていて、日本の明治期に岡倉天心(*3)や横山大観(*4)、そういう人たちもかかわりをもっていた大学です。
その大学へ秋野さんが客員教授として招かれると聞いたものですから、秋野さんに「絵本が描けそうな学生を見つけてきてください、どうしてもインドの本を作りたいのです」とお願いしました。秋野さんは申し出を受けてくださって、実際にひとり、この学生は力もあるし、絵本が描けそうだという人を紹介してくださいました。それが、ラマチャンドランさんです。ラマチャンドランというのはペンネームで、本名は違います。
そこで、私はラマチャンドランさんに毎月「こどものとも」を送りました。大学を卒業してからはニューデリーで仕事をしていると聞きましたけれども、住所がわかりませんから、「こどものとも」も送れませんでした。実は、彼は学生の頃に一度「こどものとも」のために原画を描いて送ってくれたことがあるんですが、その絵には心をひかれなかったんです。
秋野さんがインドにいらしたのは、1962年から約1年間です。その後、1971年に私がユネスコのミッションでインドをあちこち回りましたときに、インドのユネスコの方に「ニューデリーで一番よい出版社であり、印刷工場としても優秀なトムソン・プレスを見学に行きませんか」と誘われて行きました。
そこで、モヒニさんという女性の編集者にお会いしたのですが、そのときに、「あなたのことをよく知っている絵本作家がいます」と言って見せてくれたのが、ラマチャンドランさんの絵本だったんです。彼は絵本を本格的に描くようになったのかとびっくりしていると、モヒニさんに「本人を呼んでありますから、お会いになりませんか」と言われ、オフィスで初めて会うことができました。
「私は絵本のことを全然知りませんでした。でも『こどものとも』で勉強することができました。そのおかげで、今こうして仕事をすることができています」と彼は言いました。私が「日本の子どものために、これが正真正銘のインドだと感じられる絵本を描いてくれますか?」と聞くと、「やってみましょう」と。そうして彼が描いた作品が、『おひさまを ほしがった ハヌマン』でした。
この絵本の構想ができたとき、彼はラフスケッチ(下描き)をたずさえてわざわざ日本に来ました。秋野さんがお呼びになったのです。独特のスタイルの絵ですが、インドのビハール州のマドゥバニ地方の村の女性たちが指や小枝で壁に描いたり床に描いたりしてきた絵なんです。マドゥバニ・スタイル(*5)と言われています。このごろは布や厚紙にも描かれて売られていますけれども、当時はまだ知る人ぞ知るものでした。
ラマチャンドランさんは学生時代からマドゥバニのスタイルにひかれて、画法をマスターしていました。そしてこれこそインドだというので、最初の本に描いてくれたんです。ラマチャンドランさんはそれから、私の自宅で彩色をし、原画を仕上げていかれました。この絵本は「ラーマーヤナ」というインドの叙事詩(*6)の物語なのですが、インドの人たちに見せると、自分たちが考えている「ラーマーヤナ」のイメージとはちょっと違うと言われることもあります。難しいものです。

『おひさまを ほしがった ハヌマン』
A・ラマチャンドラン 作・絵 松居直 訳
お日さまに心を奪われた風の神の息子ハヌマン。空高く舞い上がり、お日さまに近づいていきます。驚いたお日さまが助けを呼ぶと、インドラ神が現れ、ハヌマンを打ち倒しました。風の神は悲しんで姿を消し、この世は空気のない死の世界に。初出は「こどものとも」1973年6月号。
インド方面の物語の出版はそれ以降進んでいないので、ぜひ皆さんが取り組んでくださるといいなと思います。まだまだいろいろな絵描きさんがいますし、掘り起こせばいろいろな表現が生まれてきますから。ミニアチュール(書物の細密な挿絵)などにも本当にすばらしいものがたくさんあります。
1971年にユネスコ・アジア文化センターで、アジアの共同出版計画の会議があったときに、アジアの子どもたちのための共通の読み物を作ろうという話が出まして、その編集委員をすることになりました。アジアの子どもたちが共通して楽しめる絵本を選んで、それぞれの国の言葉で出そうという計画です。どの国の本を選ぶかというところで、日本の絵本がよいのではないかという話になりました。そして、『ちのはなし』と『たろうのともだち』が選ばれたんです。

『ちのはなし』 堀内誠一 文・絵
けがをすると血が出るのはなぜ? 胸に耳をつけると聞こえてくる「どっきん どっきん」は何の音? 動脈、静脈、赤血球、白血球、血小板、心臓や肺の働き、血の量まで、図解をおりまぜながら、休みなく流れている血の働きを伝えます。初出は「かがくのとも」1971年1月号。

『たろうのともだち』 村山桂子 作 堀内誠一 絵
友だちがほしいコオロギは、ヒヨコに出会って家来にされてしまいます。そのヒヨコもネコの家来に、ネコはイヌの家来に……。しまいに4匹はたろうに出会いますが、「けらいなんて、ぼくいやだ! 」と断られ、みんなで友だちになることに。初出は「こどものとも」1962年1月号。
『ちのはなし』は、皮膚の色は違っても人間の血は皆赤くて共通だから、これにしようと。『たろうのともだち』は、「友だちになることは大切だから」ということで選ばれました。
ところが、『ちのはなし』は、かなりもめました。ある国の代表者が、この本は困ると反対されたのです。この本には、「血をなめるとしょっぱい」という文章があります。「考えられない、血をなめるなんて絶対にしません」とおっしゃるんです。その国は敬虔な仏教国でした。そこで「なめる」という部分をあらためました。
『たろうのともだち』も、大もめにもめました。ある国の代表の方が、「どうして犬が家の中にいるのか」とおっしゃるんです。ムスリム(イスラム教を信仰する人々)にとって犬は不浄な存在とされていますから、犬を飼うことはほぼありません。そのため、「犬が家の中にいるなんて、わが国の子どもたちは理解に苦しみます」と……。
ほかにも、この本はまずいとおっしゃった国がありました。「どこがまずいのですか? 友だちになるのはよいことではないですか?」と尋ねると、「問題は絵です」という答えでした。絵の色が困るというんです。「緑が多すぎます。緑は神聖な色ですから、こうむやみやたらに緑色を使った本は、とても出せません」と。こちらも、ムスリムの多い国の方でした。
その後、ユネスコ・アジア文化センターで『アジアの昔話』(*7)を編纂しようという案があり、日本の昔話でおもしろいのはこれですということで、「ふしぎなたいこ」のストーリーテリングを松岡享子さんが見事になさったことがあります。
この時も、ある国の代表の方が「この昔話を本に入れるのは困ります」とおっしゃったんです。なぜかというと、「ふしぎなたいこ」は空に大工が橋を架ける話ですよね。「空にいるのは神様だけですから、大工が空に上がっていろいろなことをするなんて、ムスリムとしては考えられない」と。
そういったことを、私たちが知っているかいないかです。知っているとわかれば、「この人たちはわかっているんだな」と思ってくれますけれど、「そんなことは知りません」だと、溝ができてしまう。民族にはそれぞれの文化があって、それを私たちが少しでも理解しているかいないかということが、交流のつなぎ目なんです。ことに宗教は、本当に難しいです。

イラスト・佐藤奈々瀬
*1 バングラデシュの独立は1971年。1947年にパキスタンが独立するが、東西の対立が生じ、1971年に東パキスタンが「バングラデシュ」として独立を宣言。独立戦争を経て、同年12月に独立が確定した。
*2 ラビンドラナート・タゴール(1861-1941年) インドの詩人、思想家、作曲家。ベンガル語の詩集『ギタンジャリ』を自ら英訳し、1909年に刊行。1913年にアジア人として初めてノーベル賞(ノーベル文学賞)を受賞した。ヴィシュヴァ・バーラティ国立大学(タゴール国際大学)は、タゴールが1901年に開いた野外学校が基になっている。
*3 岡倉天心(1864-1913年) 日本の文人、思想家。東京開成所で政治学などを学び、同校の講師だった美術研究家のフェノロサと出会い、ともに伝統美術の調査を行う。東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に尽力し、校長として、横山大観らを育てた。後に日本美術院を創設。『東洋の理想』(The Ideals of the East/1903年)や『茶の本』(The Book of Tea/1906年)などの英文著作を通じて日本の精神文化を世界へ発信した。1901-1902年にインドを訪れた際にタゴールと出会い、その後も交流は続いた。横山大観とともにヴィシュヴァ・バーラティ大学も訪れている。
*4 横山大観(1868-1958年) 日本画家。東京美術学校で岡倉天心に学び、日本美術院の創立に参加。線描を抑えた朦朧体(もうろうたい)などの画法を切り拓き、岡倉天心の没後は日本美術院の再興に力を尽くした。富士山を描いた作品を多く残している。
*5 マドゥバニ・スタイル(マドゥバニ画/ミティラー画)は、インドとネパールに伝わる絵画様式のひとつ。インドのマドゥバニ地方やネパールのミティラー地方で女性たちによって、婚礼や祭礼の際に祈りを込めて描かれてきたもの。天体や自然、神々などさまざまなものがモチーフになる。
*6 ラーマーヤナは、古代インドの全7巻からなる長編叙事詩。詩人ヴァールミーキの編纂といわれる。誘拐された妻を取り戻すため、ラークシャサの王に挑むラーマ王子の戦いを描いている。
*7 『アジアの昔話』(ユネスコ・アジア文化センター 編 松岡享子 訳/福音館書店 ※品切)は、全6巻。1975年から1981年にかけて刊行。アジア18か国の昔話48話を収録。
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