手から手へ 松居直の社内講義録

第31回 アジアの国との交流④ 中国とのかかわりと『しんせつなともだち』

絵本 |
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月刊絵本「こどものとも」を創刊し、多くの子どもたちに愛される絵本や童話の数々を送り出した編集者・松居直(まつい ただし)。この連載では、松居が2004年9月から2005年3月にかけて福音館書店の新入社員に向けて行った連続講義の内容を編集し、公開していきます。

中国とのかかわり

私は中国にも長いあいだ注目していました。中国の物語を取り上げた最初の絵本は、前にお話しした「こどものとも」1957年11月号『くりひろい』(厳 大椿 作 山田三郎 画)です(本連載 第7回 参照)。作者の厳大椿(イェン・ターチユン)さんは、上海に設立された中国初の児童書の出版社である少年児童出版社(*1)の編集者でした。

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第7回 「こどものとも」創刊のころ⑦ 菜っ葉服で蒸気機関車に乗った話
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そのあと、同じ少年児童出版社の編集者だった方軼羣(ファン・イーチユン)という方のお話を、「こどものとも」1965年4月号として出したものが『しんせつなともだち』(方 軼羣 作 君島久子 訳 村山知義 画)です。

中国で刊行されていたものは、とても薄い造りで、絵も芸術的とはいえなかったんですけど、物語がとてもいいのです。よくこんな物語が創作できるねと思うほど、起承転結もきちんとしていますし、イメージも見事に子どもたちに伝えられる物語だと思ったのです。

『しんせつなともだち』
方 軼羣 作 君島久子 訳 村山知義 画

雪の日に食べ物を探しに出かけたウサギは、かぶを2つ見つけます。ひとつは食べて、もうひとつはロバのところに持っていきます。ロバはそのかぶをヤギへ、ヤギはシカへ、シカは再びウサギのもとへ……。ぐるぐる話の傑作です。※現在は「こどものとも絵本」として刊行

『しんせつなともだち』の裏話

方軼羣さんに上海でお会いしたときに、私はこの物語がどのようにしてできたのかを直接ご本人からお聞きしました。

この物語は、方軼羣さんが揚子江を見に行こうと船に乗ったとき、その船の中で聞いた話だそうです。

朝鮮戦争のとき、中国の解放軍が北朝鮮を支援するために朝鮮半島へ行きました。現地の野戦病院では、たくさんの中国兵が収容されていました。そのとき、慰問のために訪れた劇団が、司令部にお土産として果物を持っていった。方軼羣さんはリンゴとおっしゃったと思うんですが、そうしたら司令部の人から「いちばん苦労しているのは前線の兵隊だから、果物は野戦病院のほうにあげてくれ」と言われて、野戦病院に持っていった。ところが野戦病院の兵隊は「いちばん苦労しているのは司令部の人たちだから」と言うので、また司令部に持っていったという話があったそうです。お土産がぐるぐる回って、とうとう最後に司令部の人は「ご苦労さま」ということで、劇団の人に果物をあげたらしいんですけれども、方軼羣さんはそれを基にしてノンフィクションを書こうとしても当時は書けなくて、戦後にこういう形にしたのだと教えていただきました。

人から聞いた話が基になっているとしても、これは見事な創作だと思います。

1920年代に刊行された「小朋友」

厳大椿さんや方軼羣さんがいらした上海の少年児童出版社は、中国では一番伝統のある児童書の出版社です。そこで「小朋友」(シャオポンヨウ *2)という月刊誌を出していました。最初に刊行したのは中華書局ですが、のちに少年児童出版社に移りました。中国の子どもの雑誌としては非常に伝統があり、しかも質の高いものです。日本でいえば大正時代、1920年代から出していましたが、戦争のために途切れてしまいます。

戦後、「小朋友」は復刊され、1946年から上海の少年児童出版社が発行するようになりました。その編集長をしていらしたのが、児童文学者として知られる陳伯吹(チェン・ボーチュイ *3)さんです。そのことは、「子どもの本・一九二〇年代」展(*4)の図録に書いてあります。

1920年代は、世界的に絵本が活気づいて、いろいろな国で新しい試みがどんどんされ、言ってみれば絵本のひとつの基礎ができる時代だったのです。私はそのことに非常に興味をもっていたものですから、実行委員会を結成し、日本の1920年代の絵本の全容を明らかにする展示を企画しました。東京の庭園美術館で、すべて現物の絵本を並べて、かなり大がかりな展覧会をやりました(1991年4~5月)。どうしてもやりたかった。

子どもの本と戦争

この後、1930年代展もやりたかったんです。なぜかというと1930年代というのは、日本の子どもの本が戦争に向かってずっと流れていく時代なんです。子どもの本の中で、日本の国策を先取りして、出版が行われたわけです。出版というものは、あるところでは本当に恐ろしい。子どもの思想をリードしてしまうこともあるのですから。それが最終的には戦争につながるわけです。

私もそういうところで教育を受けた人間ですから、その1930年代に、子どもの本において、本質をちゃんと守ろうとしたものは何であったか、国家の政策に迎合したものは何であったかを、一度はっきりさせる必要があると思っていたのです。

イラスト・佐藤奈々瀬
 

 上海の少年児童出版社は、中国初の児童書出版社として1952年に設立。
*2 「小朋友」は、1922年に中華書局から創刊された児童雑誌。1937年に戦争の影響で刊行が止まるが、1945年に復刊。翌1946年から上海の少年児童出版社が刊行。
*3 陳伯吹(1906-1997年) 中国の編集者、翻訳家、児童文学作家。1945年に「小朋友」の主編となる。1989年に設立された中日児童文学美術交流上海センターの会長として、日本との交流にも尽くした。同氏の名を冠した陳伯吹国際児童文学賞が1981年に創設されている。
*4 「子どもの本・一九二〇年代」展は、1991年に東京都庭園美術館で開催された展覧会。実行委員会のメンバーは、小野かおる、島多代、板東悠美子、本多慶子、松居直。1920年代の日本の子どもの本や絵雑誌の全容に迫るとともに、海外の子どもの本の歩みも紹介した。

 

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