手から手へ 松居直の社内講義録

第30回 アジアの国との交流③ 韓国の絵本の力

絵本 |
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月刊絵本「こどものとも」を創刊し、多くの子どもたちに愛される絵本や童話の数々を送り出した編集者・松居直(まつい ただし)。この連載では、松居が2004年9月から2005年3月にかけて福音館書店の新入社員に向けて行った連続講義の内容を編集し、公開していきます。

『山になった巨人─白頭山ものがたり』の出版

1988年ごろに出版文化協会のご用でまた韓国に行きました。出版文化協会の玄関を入った左にギャラリーがあって、絵本の原画が並んでいるのに気がつきました。それが相当よい絵だと思えましたので、私は会長に会ってから、そのギャラリーに引き返して、絵をずっと拝見していたんです。

そうしたら、男の人が近づいてきて、何となくその人が微笑んでいる感じがしたものですから、「あなたの作品ですか?」と尋ねたら、「はい、そうです」という答えでした。それがリュウ・チェスウ(柳在守 *1)さんでした。展示されていたのは、『白頭山ものがたり』という絵本の原画です。

日本語がすこしおできになるようだったものですから、「これはすごいですね、このようなものをよくお描きになりましたね」と申し上げたら、「これが本になったものです」と韓国で刊行された絵本をくださいました。朝鮮という国がどのように生まれたかを描いたこの神話のような物語には、南北統一の願いもこめられていると私は気がつきました。これはなんとかして日本で出したいと思いました。

でも、印刷がよくありませんでした。「5色刷り(*2)です」とリュウさんが話してくれたので、それなら製版の問題だろうと思いました。
「これを日本で出したいのですが、原画を借りて日本で全部製版をし直してよいですか?」とお聞きしました。

リュウさんの了解をいただけたので、原画をお借りして、日本で製版をして刊行しました。『山になった巨人 ─ 白頭山ものがたり』(1990年)です。4色刷りで印刷しましたが、当時の韓国の5色刷りよりも日本語版のほうが再現性は高いです。そのころの韓国では、まだ絵本が盛んではなかったものですから、カラー印刷の技術も高くなかったのです。

『山になった巨人 ─ 白頭山ものがたり』
リュウ・チェスウ 作・絵 イ・サンクム まつい ただし 共訳
福音館書店 ※品切

昔、太陽と月は2つずつあった。そのため、昼はとても暑く、夜はとても寒かった。地を統べるタニム王から人々を助けるよう命を受けた白頭巨人は、太陽と月をひとつずつ射落とし、朝鮮の人々のために住みよい国を作った。今は山となり、人々を見守っている。

白頭山(2,744m)の山頂のカルデラ湖は、天池と呼ばれている。『山になった巨人 ─ 白頭山ものがたり』では、この池が生まれ、川が流れ出したことで、日照りが続いても朝鮮の人々が心配せずにすむようになったと語られる。

最初の足がかり

韓国語版には、本の後ろの部分にかなり長文の解説が載っていました。この絵本は天地創造の物語で、朝鮮民族の創世神話にかかわりがある──そういう解説文だとリュウさんは話してくれました。それで私は、それを書かれたキム・ヨンオク(金容沃 )先生のご承諾もいただきたいということで、お会いしました。キム・ヨンオク先生は高麗大学を卒業後、台北の大学を卒業されて、日本で東京大学の大学院をお出になって、そのあとハーバード大学へ留学して学位を取られた、東アジア、東洋思想史の大家です。その方のご了承をいただいて、この絵本を出すことができて、ようやくひとつの足がかりを韓国との間に作ることができたのです。

同じころ、ハンリム(翰林)出版のイム・インス会長が福音館の本を出したいとおっしゃって、韓国で福音館の本を出していただけるようになりました。今でもハンリムとはおつきあいが続いています。絵本の担当をしている編集者は、白百合女子大学に留学しているときに僕が2年間教えた人なんです。とても優秀で、こういう人が韓国へ帰って編集者になったらいいなと思っておりましたら、ハンリムに入社されたんです。

ハンリムが刊行している韓国語版の『おつきさま こんばんは』『ぐりとぐら』『あめのち ゆうやけ せんたくかあちゃん』(左から)

韓国の絵本の力

1990年代から2000年にかけて、韓国の絵本は目を見張るような成長を遂げました。それだけの下地があるからです。2000年に、日本で初めて韓国の絵本の原画展「オリニの世界から」が開催されました。このときに、日本の人々は初めて韓国の絵本の存在に気づいたわけです。

今でも忘れられないのは、佐藤忠良(*4)さんがこの原画展をご覧になって、絶賛していらしたことです。「韓国の原画ってすごいですね、これはかなわんよ」とおっしゃったことがあります。見る人が見て、本当におどろかれたようです。

このときに原画が展示された絵本は、いくつか日本で翻訳出版されました。でも、原書から形を変えてしまっているものも見受けられました。絵本というのはひとつずつ、大きさもページ数もみんな違うわけですから、大きさや形を変えるのは、絵本の出版としては避けたいところなんです。出版社として絵本を出すということが、どういう意味をもっているのかということです。韓国の絵本を日本語にして出すことの意義を強く感じていることはわかるのですが、日本の子どもにとって、その1冊1冊の作品がどういう意味をもってくるのかという視点が抜けてしまっているんです。

また、中には日本の人の好みと少し異なるようなものもありますから、なかなか売れないという問題も出てきます。でも、売れなくても、本当によいと思ったときには、私は出したほうがよいと思っています。その代わり、自分で売ることです。自分で売って、10 年間かけるぐらいの気持ちで、定着させていくことです。

イラスト・佐藤奈々瀬
 

 リュウ・チェスウ 韓国の絵本作家。1954年、ソウル市生まれ。1978年に弘益美術大学絵画科を卒業。1987年、韓国出版文化賞(児童図書部門)を受賞。日本で刊行された絵本作品に『山になった巨人─白頭山ものがたり』(福音館書店)、『きいろいかさ』(メディアリンクス・ジャパン)などがある。
*2 5色刷り=5色のインクを使って印刷を行うこと。カラー印刷は通常、4色(シアン・マゼンタ・イエロー・ブラック)のインクを用いるが、再現性を高めたり、特殊な色(金・銀)を用いたりする場合に、色数を増やして印刷を行う。
*3 キム・ヨンオク 韓国の哲学者、思想家。高麗大学哲学科を卒業後、国立台湾大学、東京大学大学院で修士号を取得。1977年に渡米し、ペンシルベニア大学大学院、ハーバード大学大学院で学ぶ。1990年には圓光(ウォングァン)大学校で韓医学の学位も取得している。その活動は、映画、演劇、音楽にも及び、幅広い。1982~1986年、高麗大学で教鞭を執る。著書に『女とは何か─韓国知識人からのメッセージ』(熊谷明泰 訳/明石書店 ※品切)など。
*4 佐藤忠良(1912-2011年) 彫刻家。宮城県生まれ。東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、新制作協会の彫刻部の創立会員として、数多くの作品を遺した。1944年に兵役招集を受け、終戦後は1948年までシベリアで抑留に遭う。1981年、フランスの国立ロダン美術館で個展を開催。絵本の仕事に『おおきなかぶ』(A・トルストイ 再話 内田莉莎子 訳)『ゆきむすめ』(内田莉莎子 再話)『木』(木島始 文)などがある。宮城県美術館に佐藤忠良記念館が併設されている。

 

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