月刊絵本「こどものとも」を創刊し、多くの子どもたちに愛される絵本や童話の数々を送り出した編集者・松居直(まつい ただし)。この連載では、松居が2004年9月から2005年3月にかけて福音館書店の新入社員に向けて行った連続講義の内容を編集し、公開していきます。
以前、敗戦のときの話を皆さんにいたしました(第9回「敗戦と古本屋の明かり」/第10回「『戦争と平和』に見た光」)。私がヨーロッパより、むしろアジアのほうに非常に関心をもったのは、その戦後の体験があるからです。つまり、日本はアジアと戦争をしましたが、実はアジアのことをほとんど何も知らないということが、ショックだったわけです。
それで、月刊絵本「こどものとも」を始めたときに、できるだけアジアの物語、特に昔話を子どもたちに伝えようと考えました。
まずお隣の韓国からと思ったんですけれども、韓国の風土や文化を描ける絵描きさんがなかなか見つからなかったんです。
転機となったのは、1967年に日本ユネスコ国内委員会主催・日本書籍出版協会後援で開催された「第1回 出版技術研修コース」でした。アジアの 14 か国、18 人の専門家が東京に集まりまして、1か月ほどいろいろな研修をおこなうことになりました。
子どもの本のことを話してほしいということで、私も研修にかかわることになります。そうして、アジアのいろいろな国とつながりをもてるようになったんです。福音館書店にも、研修生の方が見学にいらっしゃいました。
この出版技術研修コースは、1969年に設立されたユネスコの外郭団体・ユネスコ東京出版センター(Tokyo Book Development Centre/TBDC)に引き継がれ、TBDCが1971年にユネスコ・アジア文化センター(Asian-Pacific Cultural Centre for UNESCO/ACCU *1)に吸収されてからはACCUが引き継ぐ形で継続しました。
第1回の研修コースで出会った人の中に、ノ・ヤンファン(廬琅煥)という、韓国の三中堂という出版社の編集者がいました。のちに、三中堂が東京の八重洲口の近くに韓国の本を売るお店を開いて、ノさんがそこの責任者になられたものですから、私はよくそこへ行って韓国の本を見ていたんです。
どうしても韓国の絵描きさんを探したいという私に、ノさんが「これを参考にしてはどうですか」と薦めてくれたのが、韓国の近代美術の60年展がソウルで開かれたときの図録「韓国近代美術」です。私はその本を繰り返し繰り返し見て、絵本を描ける絵描きさんがいないだろうかと探しまして、この人なら……という人を4人ほどピックアップして韓国へ会いに行くことにしました。
ノさんがいろいろと手配をしてくださったんですけれども、私が行くことが大韓出版文化協会に伝わると、ACCUの関係で面識のあった協会の事務局長や出版部長の方たちが、図録で探した絵描きさんたちに会えるように手配してくださいました。その代わり、「韓国の編集者に向けて子どもの本の話をしてください」ということで、でかけて行きました。
韓国では、その探した絵描きさんたちにお会いしたんですが、ほとんどの方が「なんだ、絵本か」という感じでした。日本も一昔前はそうだったんですが、タブロー(*2)の絵描きさんというのは、絵本への関心が薄いんです。韓国も同じで、なかなか乗ってこない。 そうしたなか、チョン・ギョンジャ(千鏡子 *3)という、女性の絵描きさんにお目にかかりました。僕はこの人の蛇の絵にひかれて、こういう絵を描く人にぜひ会いたいと思っていたのです。実際にお会いしたら、日本語が大変おできになる方で、日本の女子美術大学の卒業生だということがわかりました。
私が「絵本を描いていただけませんか」と話すと、かなり興味をもってくださったんですけれども、描いたこともないし、ほかにもやらねばならない仕事がたくさんあるので、ということでお引き受けいただけなかったんです。そのときに、私が「どうして蛇の絵をお描きになるんですか?」とお聞きしましたら、「これは朝鮮戦争(*4)のときに描いた絵です。朝鮮戦争のときに私は蛇しか描けませんでした」とおっしゃった。そういえば、堀文子さんは「戦争中、私は毛虫ばかり描いていました」とおっしゃっていました。
そのようにして、韓国の方とのお付き合いが始まりました。出版文化協会のパク・ソウリさんという出版部長の方は、「本当の韓国の文化、朝鮮半島の文化を見ませんか」と、慶州へ連れていってくださいました。パクさん夫婦と私たち夫婦で一緒にバスに乗って慶州へ行きました。
パクさんとはとても気が合って、「まあ、我々はいとこ同士みたいなものですね」などと言いながら旅行していました。そして慶州にある石窟庵という仏教遺跡に行くことになりました。石の如来坐像が石窟の中にあるんだけど、すごく立派な石仏なんです。本当に美しい仏様でした。私は日本の仏像はかなり見てきたつもりですし、インド、インドネシア、タイの仏様も見ていますけれども、このとき見た石窟庵の仏様は最高に美しかった。これだけのものを作った民族はすごいという思いを、私はそのときにもったんです。私は仏教徒ではありませんけれど、1時間ぐらいその仏様の前に座っておりました。

仏様を拝んで、また山を歩いて下ってきました。本当に誰にも会いませんでした。ずっと下って、ちょうど真ん中あたりに来たときに歌声が聞こえてきました。白いチマチョゴリを着たおばあさんが、杖をついてひとりで上がってくるんです。私はその歌にとってもひかれました。あんまりそのおばあさんの姿、形、それから顔だちが柔らかくて、その歌も柔らかくて、パクさんに「あれはどういう意味の歌なんでしょうか?」と尋ねたら、「僕もわからないから、ちょっと聞いてみましょう」と足を止めて、おばあさんに聞いてくださった。
戻ってくると、あのおばあさんは 81 歳で、これから石窟庵にひとりでお参りに行くのだと教えてくれました。歌は、ふと口ずさんだ即興のもので、「私にもかつて青春があったが、今はこんなに年を取ってしまった」ということを歌っている、というんです。私はとても心を動かされました。おばあさんはにこにこしてこちらを見ていました。
おばあさんにごきげんようとごあいさつをして私たちは下りていったんですが、そのときの印象は今でも強く残っています。そうしたことの積み重ねで、私は韓国の人たちの精神性や文化が少しは感じられるようになってきて、韓国の出版界ともお付き合いを進めることができるようになりました。
残念ながら韓国で絵描きさんを見つけることができなかったので、帰国後にキム・ヤンキ(金両基 *5)さんと オ・ビョンハク(呉炳学 *6)さんにご相談して、そのお2人の力で、やっと『トケビにかったバウィ』(「こどものとも」1974年12月号)という本を作ることができました。
『トケビにかったバウィ』
きむ やんき 再話 呉炳学 画
バウィは利口で相撲が大好きな少年でした。相撲大会で優勝したバウィは子牛を商品にもらいますが、帰り道で妖怪トケビに勝負を挑まれます。バウィが見あげると、トケビはどんどん大きくなります。でもトケビの秘密を探りあてて……。

しかし、日本の子どもたちにはピンとこなかったようなんですね。絵本として、もうひとつ定着しなかったという心残りがありました。
*出版社の記載のないものは、福音館書店刊
イラスト・佐藤奈々瀬
*1 ユネスコ・アジア文化センターは、1971年に設立された公益財団法人。アジアの文化振興のための情報交換、人材の育成・交流、伝統文化の調査・保存・活用に関する事業を行なう。
*2 タブローは、フランス語で「絵画」のこと。移動可能な板絵やキャンバス画などを指す。
*3 チョン・ギョンジャ(1924-2015年) 韓国を代表する女性画家。全羅南道に生まれ、東京に出て女子美術大学で絵画を学んだ。花、女性、蛇を多くの作品でモチーフにした。
*4 朝鮮戦争は、1950~1953年に朝鮮半島の主権を巡って起きた戦争。中国・ソ連が支援する北朝鮮が韓国に侵攻し、韓国はアメリカを中心とした国連軍の支援を受けて戦った。戦争は膠着状態に陥り、休戦協定が結ばれた。
*5 キム・ヤンキ(1933-2018年) 韓国と日本を中心にアジア諸国の文化を探求した研究者。東京都生まれ。早稲田大学文学部を卒業。静岡県立大学、常磐学園大学などで教授を務めた。著書に『韓国神話』(青土社)など。
*6 オ・ビョンハク(1924-2021年) 画家。日本統治の時代に朝鮮半島北部の平安南道で生まれる。1942年に美術を志して東京に出るが、徴兵検査を経て、平壌の建設現場で労働に従事することに。その後、東京へ戻り、終戦後は東京美術学校に入学するも中退。画壇の会派には属さず、仮面劇や祭りをはじめ朝鮮の人々の文化を描いた。
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