月刊絵本「こどものとも」を創刊し、多くの子どもたちに愛される絵本や童話の数々を送り出した編集者・松居直(まつい ただし)。この連載では、松居が2004年9月から2005年3月にかけて福音館書店の新入社員に向けて行った連続講義の内容を編集し、公開していきます。
慶州からソウルへ戻ってきた際に、イ・サンクム(李相琴 *1)さんを紹介していただきました。
「日本語がたいへん上手な、韓国の幼児教育の第一人者が梨花(イファ)女子大学にいらっしゃるので、ぜひ会ってみてくれませんか」というお話をいただいて、お訪ねしたのです。 イさんは「大学の美術館に韓国の民画のコレクションがあるから、それをぜひお見せしたい」とおっしゃいました。私はその民画というものを拝見して、韓国にはこんなにすばらしいフォークアート(*2)の系統があるのかと感動し、なんとかしてそれを生かした絵本を作りたいと思ったんですが、いまだに自分の手では達成できていません。
近年、韓国のチョバンという出版社のシン・ギョンスク(申敬淑)さんという女性の社長兼編集長が、こうした伝統的な文化や風俗、服装や建物などを子ども向けに伝える本をちゃんと編集していらっしゃいます。シンさんは韓国で最初に児童書の専門店を作った人でもあるんですよ。
さて、このとき、イ・サンクムさんに会ったことが契機になって、『半分のふるさと 私が日本にいたときのこと』(1993年)という本を後に福音館書店から出すことになります。

本をお読みになればわかりますが、イ・サンクムさんはずっと日本で育たれたのです。そして15歳ぐらいのときに韓国へ帰って、そのときから韓国語を本格的に勉強されるんです。初めは看護師さんになられたんですが、その理由をお尋ねしたら、病院にはいろいろな人たちが来て、いろいろな地方の言葉が聞けるからだと話してくださいました。そうして後に、韓国の幼児教育の第一人者になられました。
私に「韓国近代美術」を薦めてくれた三中堂のノ・ヤンファンさんと話をしていたときに、ノさんが「韓国では子どものことを “オリニ” と言いますが、この言葉は現代になってからできた言葉なんです」と、ちらっとおっしゃったんです。
「子ども」という普通名詞が、現代になってできたとはどういうことかと気になり、「もっと詳しく聞かせてください」とお願いしたら、ノさんも「私もあまり詳しくはわからないんですが、最初にパン・ジョンファン(方定煥 *3)という児童文学作家が “オリニ” という言葉を作ったということは聞いています」と教えてくれました。しかも、この言葉には子どもの人格を大変尊重したニュアンスがあるとおっしゃったんです。
それ以前は、子どもという存在が一人前の人格として扱われることは少なかったけれど、パン・ジョンファンがオリニという思想を普及させて以来、子どもを尊重する考え方が韓国に定着したということをお話しになったものですから、本当にびっくりしました。
パン・ジョンファンという人は、独立運動をやって逮捕され、そのあと雑誌の特派員として日本を訪れ、東洋大学に留学します。ちょうど巌谷小波(いわや さざなみ *4)などが出て日本の児童文学が盛んな時期でした。その後、パン・ジョンファンは帰国して、“オリニ” という運動を起こします。この運動は、韓国の子どもの本を考える際に非常に重要なんですが、それについて私にちゃんとした解説をしてくださったのも、イ・サンクムさんです。「あなたが知りたがっていることが書いてありますから」と、イ・サンクムさんがお茶の水女子大学に提出された「解放前韓国の幼稚園に関する研究:その成立と展開」という学位論文を私にくださったんです。
その論文によると、パン・ジョンファンは「オリニの日宣言文」というものを、1923年5月1日に何万枚も韓国の国内に配布しています。 その宣言文を、イ・サンクムさんの論文から引用して読んでみます。
【オリニの日宣言文】
一、オリニを従来の倫理的圧迫から解放し、彼等に対して完全に人格的礼遇をせよ。
二、オリニを在来の経済的圧迫から解放し、満十四歳以下の彼等から無償または有償の労働を廃せよ。
三、オリニたちが静かに勉強し、楽しく遊ぶにたる各様の家庭または社会的施設を整備せよ。
【大人におくる文】
一、オリニを見下げないで、見上げてください。
二、オリニと親しくして、たくさん話してください。
三、オリニに敬語を使い、やさしくしてください。
四、理髪、沐浴、衣服についてよく世話してください。
五、睡眠と運動を充分とらせてください。
六、散歩や遠足をときどきさせてください。
七、オリニをしかるときは怒らないで、よくいいきかせてください。
八、オリニたちが集まって楽しく遊べる遊び場や機関をつくってください。
九、大宇宙の脳神経の末梢(中心になる基礎)はヌルグニ(老人)やチョルムニ(青年)にあるのではなく、オリニにだけあるということをいつも覚えていてください。
(イ・サンクム訳/「解放前韓国の幼稚園に関する研究:その成立と展開」より)
この時代に、これだけの宣言文を作って、子どもの人格を大人が認めるという思想をパン・ジョンファンは普及させるわけです。「児童の権利に関するジュネーブ宣言」(*5)よりも早く。 彼は、韓国で最初にハングルで書かれた子ども向けの童話集『愛の贈り物』(1922年)も出版しています。そして宣言文と同じ年に「オリニ」という月刊の児童文学雑誌を創刊しました。「オリニ」は1923~1934年までの12年の間に122号まで出ました。しかし、朝鮮総督府により発禁処分に遭うんです。毎号、約3万部が出ていたといいます。パン・ジョンファンは1931年に32歳の若さで亡くなります。

私は、なんとかして韓国の本を日本で翻訳出版したいと考えていたんですが、当時、これはという本があまりありませんでした。絵本の編集者もほとんどいなかったんです。そこから少しずつ、韓国の人たちも、なんとか自国の子どもたちに自国の絵本を作って届けたいという思いをもって、歩んでこられました。
イラスト・佐藤奈々瀬
*1 イ・サンクム 幼児教育研究者、児童文学作家。1930年、広島に生まれる。1955年、梨花女子大学教育学科を卒業。同大学大学院修士課程、延世大学大学院博士課程を修了。1987年、お茶の水女子大学学術博士学位を取得。『半分のふるさと 私が日本にいたときのこと』で産経児童出版文化賞、坪田譲治文学賞などを受賞。アメリカ在住。
*2 フォークアートは、その土地の文化や伝統に根ざしたアートのこと。
*3 パン・ジョンファン(1899-1931年) 韓国の児童文学作家、運動家。ソウルに生まれる。1920年に雑誌「開闢」の特派員として東京に赴任し、東洋大学に留学するが1922年に退学。1922年から創作活動を始め、1923年に児童雑誌「オリニ」を創刊する。世界各地の児童文学を翻案して紹介した『愛の贈り物』は、ハングルで書かれた最初の童話集。「韓国児童文学の父」と呼ばれる。
*4 巌谷小波(1870-1933年) 児童文学者、作家。1891年に『こがね丸』(博文館)を発表。1895年に創刊された雑誌「少年世界」(博文館)の主筆として、多くのお伽噺を発表する。また、童話の口演のため全国をまわった。
*5 「児童の権利に関するジュネーブ宣言」は、1924年に国際連盟が採択した国際的な子どもの権利宣言。1959年には、同宣言を拡張する形で10条からなる「児童の権利に関する宣言」が国連総会で採択されている。
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